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イケメン病 入院手記 #2

minifilmの高橋です。イケメン病入院手記、今回はパート2です。

点滴ぶすり

ナベモトさんの掛け声とともに、太めの針が左手に入ってきた。チクリという痛みではなく、鈍痛という言葉のほうが当てはまる。点滴が入ると、いよいよ病人感が出てくる。
「痛い~? 大丈夫ぅ~?」
ここで痛みを訴えたとしても結局処置は変わらないはずだ。無意味な質問のように感じてしまう。
「入っちゃえば大丈夫です。ちょっとかゆみがあるような感じです」
実際、鈍痛が引いてからは、かゆいという表現が適切だった。そのかゆみすら、しばらくしたら全くなくなった。点滴に巻かれた包帯に「1/28」と青いペンで書かれていた。退院予定日なのか、それとも分数なのか。その日まで点滴を繋ぎますという意味だったら嫌だな。進歩した医療の現状の結論が、針をぶっ刺して体外から栄養を送るというのは大変面白い。治してるんだか傷つけてるんだか、分からない。点滴とか採血とかで針を刺すたびに、ドラゴンボールの孫悟空が、あれだけ強いのに注射は大嫌いで泣きわめくという設定を思い出す。スーパーサイヤ人だって嫌がる方法なんです。もっと痛みのないやり方は無いものでしょうか。

手術前

いよいよ、手術の時間が告げられた。13:30。あと一時間ちょっとだった。緊張感が高まる。病室にいると、なんだか牢獄で処刑を待つ人の気分だったから、海を一望できるガラス張りの休憩スペースへと足を運んだ。
コロナの影響で日常的な面会は認められていない。ただ、手術前であれば家族一名の面会が認められている。休憩スペースで手帳に物を書いていると、父がやってきた。来るや否や撮影が始まる。ガシャ、ガシャと携帯からシャッター音を鳴らしている。明らかに観光気分だ。点滴の繋がった息子の姿は、さぞ撮るに値するものなんだろう。
「そろそろ病室に戻ってくれって言ってたよ」
撮影が終わり満足した父はそう伝えてきた。
重い腰を上げ、父と病室に行く。
ちょっとしたら、ナベモトさんが手術着を渡しに来た。これに着替えて下さいねぇ。あと、パンツも手術用のおむつにしてくださいねぇ。ではしばらくしたら来ますねぇ。

おむつについて考えていたこと

おむつはおぎゃってたあの頃以来だ。第一子たる僕は、弟妹には成し得なかった「人生初のおむつ履かせ」を我が母にさせたという名誉がある。僕は母親におむつを履かせるという任務を日々与えることにより、母性を刺激し、また、母親のおむつ履かせ技術を向上させた。弟妹の時代には相当な手練れとなっていただろうから、彼らは快適なおむつライフを謳歌していたに違いない。「履かせるおむつ」というキャッチコピーでCMを流しているおむつがある。つまりおむつとは、基本的に履かせるものであるのだという了解がなされている。おむつという物の前には、加おむつ者と被おむつ者が生まれる。僕も例に違わず被おむつ者として生まれ、今日まで生きてきた。履かされるもの、あるいは履かせるものとして了解してきた。しかし「履かせる」というその了解は今ここで打ち砕かれることとなる。おむつが動詞化した場合の受動態は、さしあたり「おむつぁれる」だろうか。つまり僕はこれから「おむつる」のだ。母から自立し、今、僕はおむつを履く。被おむつでもなく、加おむつでもない。自発的おむつ。圧倒的セルフサービスだ。お母さん。息子はついに、自分でおむつを履きましたよ。おむつの常識を根底から覆す歴史的瞬間です。
おむつ、という言葉はなんとも幼児語っぽく聞こえる。「お」はお味噌汁の「お」みたいなことなのだろうか。だとしたら語幹は「むつ」? むつってなんだよ。おむつなんて幼稚な言い方じゃない、大人向けの上位互換単語は無いのだろうか。簡易便所下着、みたいな。さて、実に二十数年ぶりにこれを履いたわけであるが。おむつには、その機能故「お前はどこであろうと、いかなるときでも、お小水を出してしまう人間だ」というメッセージが込められている。僕は今、いつでもどこでもお漏らし君という肩書を持ったことになる。もちろん、赤ちゃんや重大な病気である人にとってはとても大事な役割を果たす。おむつそのもの自体を卑下するつもりは毛頭無い。そうではなく、意識のはっきりとした、肺に欠陥がある以外は割と平常な人間である自分がこれを履くことにいささか抵抗を感じているのだ。なんたることだ。肺に穴が開く程度で、僕は自分を律せない人間となると思われているのだろうか。今こそ基本的人権の尊重を訴えたい。
(そもそも論点が違うよ。全身麻酔するためにおむつぁれるんだよ。と思った方。その通りです。そして病院側の治療が原因で僕はおむつを「履かされている」ので、行動それのみが自発的なだけであり実際は「被おむつ者」であるという性質から真に逃れたわけではありません。本文中の論理にはいささか穴があることは承知しておりますが、冗談半分で書いておりますのであしからず)

愚父、再び

手術着は、客観的にも主観的にも病人感を最大値へと押し上げてきた。僕はこれから手術をするんだという現実を再認識した。
着替えが終わると、手術室へ行きますよとナベカワさんがやって来た。僕は立ち上がり、点滴台を手に持ち、押し歩く。これは父にとってはシャッターチャンスだった。ガシャ。ガシャ。手術着、点滴、病室という病人的要素が満載の今こそ撮っておきたいということなんだろう。それにしても、静かな病室でよくまあガシャガシャとそんなことが出来るな。無神経な人だ。写真を撮って記録に残すよりも、実際に目で見て記憶したほうが、のちに当時のことを覚えているという論文を読んだことがあった。父は最近記憶力がない。写真ばかり撮っているからだ。愚かな父だ。

いざ、手術室へ

ナベカワさんに連れられ、手術室に向かう。病室を出て数十メートル歩く。次に、医師専用の通路へと入ることになった。父はこれ以上来れない。別の待機場所に行くことになっている。ここで分かれるのだ。父は最初何も言わず去ろうとした。万が一なにかあった場合、もちろん天文学的数字だけれど、手術をする以上死ぬ確率もゼロとは言えないから、最悪の場合ここが最後となるかもしれない。確率とは、試行回数の多さに応じてその数字に収束する。実のところ、これから一度のみの試行をする自分にとって、過去の個別の例によって蓄積されたデータなど結局なんら意味を持たない。だから一応「行ってきます」と声をかけておいた。父は「じゃ!」と軽い挨拶で去っていった。おいおい、最後まで温度感の合わない人だぜ。後に聞いた話では、もう一度会える機会があると思っていたらしく、あそこでは軽い対応になったらしい。別棟に行くからすぐに分かれることになるって、看護師さん言ってたんだけどな。写真ばかり撮って記憶力が欠落しているせいだ。愚父め。
しかし、そもそも記憶なんてものは常にあいまいだと、僕は思う。世の中で起こっている事を、自分の目線──色眼鏡を通した状態──から見聞きし、主観的に保存しているにすぎない。なんの偏見もなく、確かな記憶など無い。それに比べれば写真はその瞬間だけであれば視覚的に確実に記録できる。にごりのない、純粋な記録だ。その写真を見て、人々が思い出すことはあいまいであれ、写真それ自体は客観的で透明だ。まあ、父に関しては有った話が無いことになっているから、それ以前の問題だ。いや、話しが有ったと思っている自分のこの記憶自体が間違っているとしたら。結局、過ぎ去ったことを、より正確になぞる方法は道具を使用して外部的に記録するより他にない。ともすれば、手術に関するあらゆる手はずを外部的なものに記しておかなかったこの仕組み自体が問題なのかもしれない。となると、単に愚父とは言えなくなってくる。
医師専用の通路を通り、大きめのエレベーターで下の階に行く。また何回か通路を経由していったら、広い部屋が現れた。ここはどうやら、手術室前の部屋のようだ。ガラス窓の向こうに、映画やドラマで見る手術室があった。白、青、緑が基調になった場所で、手術に使うであろう機械や道具がいっぱい並んでいる。
「じゃあこれ付けてね」
ナベカワさんは頭に被るキャップを渡してきた。ナベカワさんも同じものを被った。
「お名前と、どこを手術するか聞かれるから、答えてくださいねぇ」
自動ドアを通り、次の部屋に入りながら、ナベカワさんはそう言った。その先では、医師が三人待っていた。

手術室一歩手前

三人のうち、一人は知っている人だった。事前に病室に来て麻酔について説明していた麻酔科の人だ。丸メガネで少し髪が長く、ジョン・レノンみたいな見た目をしていた。しかも、細くて背が高いので気胸向きの体をしている。和製ジョン・レノンは、今回は全身麻酔と、背中から入れる局所麻酔を併用することを改めて確認してきた。
「ちなみに、背中からの麻酔の説明って事前にお伝えしてましたっけ。直前だったらごめんなさい」
「あ、いえ。既に聞いてるので大丈夫です」
頼むよ、ジョン。僕はちゃんと説明を受けてたけど、今初めて聞く可能性あったのかよ。背中から麻酔刺しますねって今言われてたら、めちゃくちゃビビるじゃん。やめてよ。
「良かったです」
そうだよ。良かったよ。ここで初めて聞いてたらあまりの恐ろしさに漏らしちゃうよ。え、そのためのおむつってこと? これが伏線だったの?
「お名前を教えてください」
ジョンとの会話が終わると、おめめパッチリな看護師さんが話しかけてきた。茶色い瞳が輝いていてまつげが長く、中東系の見た目をしていた。もちろん、全員マスクをしているから目元だけの判断だけれど。少なくとも目元情報では中東系だった。僕は、名前を答えた。
「次に、どこの手術をするか教えてください」
おっ、と思った。というのは、間違いなく、今のは日本語ネイティブではない発音だったからだ。方言でもなく、完全に海外の人の発音だ。やはり、中東系の人とかなんだろう。だとしたら、すごいな。留学なのか、実際に日本に来て働いてるのか分からないけれど、海外の病院で働けるなんて相当優秀な人に違いない。日本語のような難しい言語を習得しているそれだけで尊敬するのに、自分でさえ知らない医療系単語までも沢山覚えているんだろう。そもそも医療従事者だし。わぁ、おめめちゃんはすごい人なんだ! 一気に信頼感が出てくる。
「左の肺を手術します」
そう答えると、手術室へと通された。

続く

(※登場人物は全て仮名となっております)

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