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イケメン病 入院手記 #1

minifilmの高橋です。先日まで、人生初の手術と入院をしてきました。今回はパート1です。

イケメン病


イケメン病。それだけ聞くと「イケメンすぎて困っちゃう病気」とか「イケメンしか好きになれない病気」とか、はたまた「イケメンになりたすぎる病気」、「イケメンになっちゃう病気」なんかだと思うだろう。あ、ごめんなさい。多くの人がそう思うかは実際のところ分からないんだけれど、僕はそういうことかなと思った。


胸が苦しい⋯⋯。

「ご親族に心臓病で突然亡くなった方はいませんでしたか?」
二度目の心電図の検査中に、看護師はそう問いかけてきた。僕は、二日前からの左胸の痛みが我慢できなくなっており、息苦しさもあったので救急外来に来ていた。一度心電図を取ったものの再検査すると言われ、一回目には一人だけだった医師も二回目では三人に増え、部屋も別の場所になっていた。
「えっと⋯⋯祖父が心臓関係で亡くなっていたはずです」
心当たりがあった。僕は当時五、六歳だったけれどよく覚えている。ファミレスで食事をしていたら祖父が急に倒れ、その後亡くなったのだ。心臓に関する病だった。幼いながらも死は衝撃的な出来事だった。死後の祖父の体に白い布が被せられるのを見て、死を目の当たりにしたとき、これが人生の終着点なのだと思うのと同時に神々しさを感じていたのを覚えている。すべての処理が、迷いのない儀式的な執り行われ方をしていたからだと思う。あるいは、白色が与えた印象なのかもしれない。記憶に残る中では人生で一番初めに人の死をハッキリと感じた瞬間だった。そして今も、死を感じてる。自分も今から同じ運命を辿るのだろうか。何か心電図に異常があるのではないか。再検査に呼ばれた上にそんな質問をされては、さすがに怖くなってくる。
「あ⋯⋯テープの場所違うよ、これ」
一人の医師がテープを貼りなおした。一回目の検査のときも同じように貼ってたんですけど多分それが原因ですかね。そうかもね。という小声の会話が聞こえる。


肺に穴が開いちゃった

「気胸ですね。心臓には何も問題は見られませんでした」
肺に穴が開く病気、気胸。それが最終的な結論だった。正直、寿命はあと少しですとかそういう話になるのではないかとドキドキしていた。実は、気胸自体は十年ほど前にやっている。今回は再発したということになる。命に別条のない病気だということは知っているから、再発したことへの残念感よりも、ただ気胸が再発しただけだという安心感がのほうがずっと強かった。
そして、これがイケメン病の正体だ。細くて背が高めな若い男性がなりやすいからという理由で、俗にそう呼ばれているらしい。いや⋯⋯くくり適当すぎるだろ。イケメンの判断緩すぎますって。いやでも待てよ。病気になるだけでイケメン呼ばわりされるならむしろお得か。⋯⋯いやいや、それだけで実際にイケメンになったわけではなかろう。結局、聞こえは良いものの何の得もない。なんだよ。

僕は左肺気胸になった。

再発、そして手術決定

十年前、高校生のときに気胸になったときは手術をしなかった。四日間ほど入院し、肺に管を通して空気を循環させ、自然治癒に近い形で治療をした。局所麻酔での簡易的な処置なので身体に負担が少なく、学校生活への復帰が早いとのことでそういう方法で治したのだが、再発の可能性はあると言われていた。十年の時を経て運悪く再発したということだ。今回は、これ以降再発せぬよう肺の悪い部分を切除する手術を行うことに決まった。全身麻酔を使った、ホントのやつだ。でもこれで、諸悪の根源を断てる。
「超楽しいじゃん! 小旅行って感じでさ」
大病じゃないからと、父は呑気だった。入院をお泊まり会かなにかだと思っている。かくいう父も十数年前、仕事中に階段でジャンプしたら、着地に失敗してバキバキに足を骨折し入院するということをやっている。愚かな父だ。それに比べたら僕は、致し方なく、体内を、臓器を治さないといけない。愚父とは違って、真面目だ。

ついに入院

入院は手術日の前日からだった。病院は家から車で一時間程度の場所だ。設備が整っている大型の綺麗な病院で、海の近くに建っているので景色も良い。環境面的には申し分なかった。昼終わりくらいに受付をしたのだが、そこからが長かった。コロナの抗原検査を受け、結果が出るまでに一時間。色々な手続きが終わるのにもまた一時間。諸々済ませてやっと病室に行ったときには、窓から西日が入り始める時間になっていた。高層階、四人部屋の窓側。そこが、自分の病室となった。窓からの景色も良いし(バッチリ海が見える)、日も入るし、割と広さに余裕のある空間で、清潔感もあり、不快に思うことはなかった。持ってきたものを引き出しにしまい、私物それぞれの居場所が決まっていくうちに、「よし、ここが自分の部屋だ」という感覚も出てきて、尚更快適さが増した。

アキモトさん

初日の看護師さんは、アキモトさんという人だった。淡々としている人で、てきぱき仕事をこなしていた。変に親切にされるよりはプロフェッショナルでいてくれたほうが気が楽だ。なにかご質問はありますか。明日は手術なので必ずシャワーは浴び清潔を保ってください。ご入用でしたらナースコールを。それでは。プロフェッショナル・アキモトは、新入りを迎え入れるという役割りを終えると、足早に去っていった。シャワーを浴び、適当に過ごしていると、程なくして夕食の時間になった。「おいしくない」というのが入院食の一般的なイメージかもしれない。僕も、なんとなくそうなのかなと思ってる。でも、ここのはおいしくないとは感じなかった。かといって「すごくおいしい! おかわり!」という気にも、ならなかったのだけれど。明日は手術なので、これ以降の食事はない。朝ご飯は出てこない。僕が唯一口に出来るのは、二本の経口補水液のみ。そして、これを明日の十時までに飲み終えるべしと、アキモト・ザ・プロフェッショナルから伝えられていた。

九時消灯は流石に早いって

九時には消灯になった。消灯前の定期検査(体温や血圧を測る)では、熱が七度四分くらいあり、心配された。緊張からなのか、確かに身体が火照っていたが、体調が悪いという感じではなかった。起床は六時なので早く寝たほうがいいんだけれど、九時に寝るのは流石に無理だった。寝る前に飲めと渡された下剤と睡眠薬を服用し、あとはベッドの中でここまでのことを手帳に記しながら過ごしていた。

そのとき実際に書いていた手記

病室での最初の夜

病棟はとても静かだった。人の気配を感じないほどに。ときおり廊下を歩く看護師さんの足音が聞こえるほかには、普段体験しない静かさで、この環境は狭苦しく感じられた。海の音を探してみたけど、何も聞こえなかった。階が高すぎるんだ。何かが鳴り始めたり、鳴りやんだりすることすらない、一定の静寂がそこにはあった。海の波が無作為に織りなす音が恋しかった。

僕は収監されたのか

静かに病室で孤独に過ごし、用があるときにのみ医師と接するという構造は、なんだか独房にいる囚人と看守との関係に似ているなと思った。その部屋に至るまでの経緯が違うだけで、本質的に僕がいる部屋は牢獄と同じようなことではないかと感じてきた。そうか、自分は明日、体内切除が執行される病人か。そういえば、医師たちは手術中に僕を殺すことなんて簡単だよな。んん⋯⋯この人たちに、僕は今、完全に命を預けているってわけだ。救われる立場のくせに、そんなことを考えている自分に笑えてきた。睡眠薬のおかげで、気付いたら眠りについていた。

ナベカワおじさんとの出会い

朝目覚めると、頭痛と腹痛が強かった。朝食も出ないので、経口補水液をちびちび飲みながら過ごしていた。十時くらいに、今日の日中担当の看護師さんが挨拶に来た。ナベカワさんだ。この道が長そうなおじさんで、ホイホイっとやっちゃうよ~みたいな雰囲気のある人だった。
「じゃあ、点滴を入れますからねぇ~。手術用なのでちょっと太めになってまぁ~す。痛いかもしれませんねぇ。では、さぁ~ん、にぃ~い、いぃちぃ~」

続く

(※登場人物は全て仮名となっております)

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