Clusterやフォートナイトはすべての人類にとっての新しい「部室」だと思う。
こんばんわ。みにこーへいです。
ベア子さんの作っていた「Cluster」上でのマイクリ美術館を触っていて思ったことがあるので書きたいと思います。
じゃみさんにいただいたモデルで遊んでおる。うひょーーーー! pic.twitter.com/sqSVhN9MWV
— みにこーへい@ブロックチェーン🇹🇴 (@minicoohei) June 15, 2020
学生時代、手持ち無沙汰になる瞬間ってありませんでしたか? そういうとき、ふと足が向かってしまう、みんなが集まる場ってあったと思うんです。(僕が所属していたサークルでは「たまり」と呼んでいました)
こういう「たまりば」の一番大切な要素って、誰かと約束したわけじゃないけどとりあえず誰か仲間がいて、コミュニケーションできたり、トランプできたり、ちょっと授業とのスキマ時間にだべったり、一緒に勉強したり、カラオケ行く相手まったりって感じだと思います。(実際こんなリア充な生活を自分がしていたかでいくと疑問ではあるけど)
んで、もう一回Clusterとかフォートナイトに戻って考えると、チャットアプリ(LINEとか)やツイッター的なテキストのSNS、インスタグラム的なSNSにはない要素があるなぁって思ったんですね。
「ひましてるやつがいること」がひと目でわかること
こういうたまり場はなぜ行きやすく、そして価値があるのか考えたんですが、「行けば退屈が解消される可能性が高い」そして「待ってれば誰かが来てくれる可能性が高い」からなんですよね。(もちろん好きな女の子がいる確率が高いとかもあるかもしれませんが笑)
ツイッターとかインスタグラム、フェイスブック、LINEこの辺のアプリケーションで、いま暇?というメッセージを送って確かめることはできますが、どうしても一定は非同期的なコミュニケーションになりますし、能動的に相手の状況を確認しないとそもそも何も進みません。
そういう意味でいけば誰かしらいるかもしれない。(部室、たまり場いずれも)という場所は大人になればなるほど失われていくのかなぁと感じます。
Clusterとかフォートナイトにはその行けば誰かしらいるかもしれない大人の部室になれる
実際に触っていての実体験なのですが、手持ち無沙汰に美術館を見ていたら、そこに入ってくる友達がいました。
ほとんどコミュニケーションはなかったのですが、あ、この人いまここでひましてるんだ。。。という感覚を覚えてなにか懐かしさを覚えて、あーこれ部室だってなりました。
確認することなく、それとなくコミュニケーションが取れる場があれば、もっと生きやすくなるのだろうね。