僕について 第1話「2月29日」
1980年2月29日。
4年に1度しかない閏年の閏日。
その日にだけは産まれてきてはいけないよという周囲の忠告も聞かず、目立ちたがりの僕は予定日より一週間ほど早く、その日の真っ昼間に産まれてきた。
「元気な男の子ですよー!」
産まれたての赤子を抱えながら助産師さんが言うと、僕の母親は大層げんなりした様子で落胆の声をあげたそうな。
「えええええええ……」
当時は出産前に性別が判ったりなどはしなかったのだという。
僕は男三人兄弟の末っ子だ。
兄二人がお腹にいる時とは違い、母は妊娠中甘いものが食べたくて仕方がなかったのだそう。
こんなに甘いものが食べたくなるなんて、今度こそ女の子に違いないと、母はそう思い込んでいた。
そうだと思う母は夏に産まれてくるわけでもないのに「夏美」と名前を決め、女の子用の肌着やスタイやタオルまで準備し、初の娘となるはずの夏美を心待ちにしていたのである。
産まれてから母親の期待を裏切るまでの速度は世界記録だろう。同率1位はたくさんいるとは思うが。
母の子宮から出てきて僕が最初に放った言葉はこうだ。
「どうも、夏美です(赤子語)」
予定日より早く珍しい日にわざわざ性別まで間違えて出てきたおめでたいハッピー野郎は、おめでたいことという意味を持つ「祥」と名付けられることになったのだった。
僕が2歳か3歳の頃、母方の祖父が亡くなった。
祖父は僕を可愛がってくれたそうだが、僕にその記憶はほとんどない。
個人タクシードライバーだったということと、多額の借金をこさえてしまっていたことぐらいしか知らない。
どういう借金だったのかも何も知らない。
知っているのはどこかの癌で亡くなったことと、祖父を失った祖母が廃人のようになってしまうほど、祖父は祖母に愛されていたということ。
そしてその借金をなぜか僕の両親が返済することになったこと。
祖母は僕の両親と一緒に暮らすこととなり、すでに小学校に入学していた兄二人と僕の面倒を見ることになった。
母はお好み焼き屋を経営していたが、それでは祖父の借金を返済できないため、中洲のスナックで働き始めた。
父はガソリンスタンドに勤務する会社員で、どこかの店舗の所長をしていた。
母は日曜以外毎日スナックで働いていた。
僕ら三人兄弟のご飯を作ったり世話や躾をするのは全て祖母の役目となった。
祖母は夫がいなくなった寂しさ、その心に空いた穴を、孫へ愛情を注ぐことで埋めた。
母に厳しく躾けられていた兄二人とは違い、一番手がかかる僕に対する愛情は並大抵ではなかった。
今思えばあれは異常だ。
僕は祖母に何かを怒られた記憶が全くない。
「ご飯食べたくない」と言うと「食べなくていいよ」と言い、直後に「お菓子食べたい」と言うと「買ってあるよ」と言う。
毎日100円をもらい、近くの駄菓子屋へ通っていた。
お菓子しか食べない子供で体調がおかしくなり、心配した母が病院に連れて行くと栄養失調と診断された。
小学校の時間割は祖母が全て把握し、教科書とノートは祖母がランドセルに詰めていた。
歯磨きをしなさいと言われたことがないので虫歯だらけになった。
祖母だって三人の子供を立派に育てあげたはずなのに、その時の躾など忘れてしまっていた。
そのおかげで、自分の思い通りにならないと気に食わない超わがまま甘ったれな性格が形成されていく。
現在でも面倒臭い事を後回しにしそうになる時、「あの頃のばあちゃんせいだ」と思ってしまいそうになる。
そして自分の甘さを他人のせいにしてはいけないと自分を奮い立たせる。
そんな風に思ってはいけない。
祖母はただ愛しただけで、僕は感謝してもしきれないほど甘やかしてもらったのだから。
だから僕の人生は証明と見返しの旅だ。
甘ったれ少年が何者かになることで、僕を愛してくれて認めてくれた人への証明。
僕を見下し馬鹿にし、つまらないと吐き捨てた人達への見返し。
2023年1月20日、祖母が他界した。
まともに会話したのは何年も前だった。
悲しくはなかった。なんとなく覚悟していた。
きっと一番甘やかされ、愛情を注がれたはずの僕が、葬儀の時は一番平然としていたように思う。
東京に行く時、祖母だけが僕を止めた。
「祥君、知っとると?東京は怖いとよ」
僕は笑いながら「有名人になって帰ってくるけん自慢してね」と返した。
痴呆が始まっていない状態での祖母との会話はこの日が最後だった。
一番証明したかった人はもういない。
それでも僕はこの旅をやめられない。
直接本人に言ったことは一度もなかったけれど、僕も愛していたよ、ばあちゃん。
悲しくはなかったけど、ああしておけばよかったこうしてよけばよかったと、後悔ばかりだよ、ばあちゃん。
これを書いているのは43歳の、まだ何者にもなれていない僕。
そんな僕の、僕についてのことを無計画に語っていこうと思う。
つづく。
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