まだ見ぬクラスメイトへの手紙
「みんなで摩中田さんにお手紙を書きましょう」
中学3年生の春、道徳の時間に担任の吉井先生がそう言ってコピーされた原稿用紙を生徒全員に配り出した。
吉井先生は陽気な女性で当時40歳前後だったろうか、かつての教え子に新庄がいると言い、新庄選手が阪神に入ったことで阪神ファンになったという話をよくしていた。
阪神が負けた次の日はあからさまに機嫌が悪く、勝った次の日にはルンルンで授業をする、なんともわかりやすい先生だったのを覚えている。
摩中田さんというのは3年生に上がった時のクラス替えで初めて同じクラスになったクラスメイトの女子の名前で、下の名前は失念したが読み方は『まつだ』と読む。
今まで生きてきて出会ったことがないので、きっと珍しい名字なのだろう。
摩中田さんは不登校だった。
そんな摩中田さんに、クラスのみんなから励ましのお手紙を書こうというものだった。
2年生の頃から不登校だったらしいのだが、僕は小学校も違ったし3年生で初めて同じクラスになったので、話したことがないどころか、顔もよく知らなかった。
渡された原稿用紙は20×20の400字詰め。
無駄な読点や改行や接続詞を駆使したとしても、何の情報もないクラスメイトに送る手紙としてはあまりにも多い文字数だった。
先生の合図で一斉に手紙を書き始めるクラスメイト。
できた人から先生のところに持ってきなさいとのことだったが、僕はすぐに白紙で持って行った。
「先生、摩中田さんのこと知らなすぎて、どう書いていいのかわかりません」
先生はそんな僕に優しく返した。
「そっかー、小車君は摩中田さんと同じクラスになったことないんだもんね。小学校も違ったのかー。まぁなんとか励ましの言葉考えて書いてみてよ」
僕は思った。感触がいいと。
おそらくこれは昨日阪神が勝っている。
もし負けていようものなら、こんな優しい返しが返ってくるとは思えなかった。
しかしそうは言われたものの、本当にどう書いていいのかわからず、道徳の授業の残り時間はどんどん少なくなっていった。
残り10分弱、僕は野球部の梅田君に聞いてみた。
「昨日、阪神勝った?」
「うん、勝ったよ」
やはり。
それなら通るかもしれない。
僕が摩中田さん宛てに書いたこの渾身の手紙が。
400字詰めの原稿用紙に、僕が書いた文字数は8文字。
僕は凛とした顔で、それを吉井先生に提出した。
「吉井先生、できました」
「小車君、頑張ったのね」
そう言いながら吉井先生は、僕が持ってきた用紙に目を通した。
『摩中田を待つだ。』
これを見た吉井先生は、教師とは思えぬ勢いで爆笑した。
生徒達が何があったのかと凝視するほどに。
「お、小車君、これは、あれよね?摩中田さんを笑わせようと思って、元気付けようと思って書いてるのよね?」
「もちろんです先生。今の先生と同じように、笑ってもらえるといいなと思ってのことです。そうですとも」
僕の手紙は先生の審査を通り、無事提出できた。
その日の内に、みんなが書いた手紙を先生が摩中田さんの家に届けるとのことだった。
よかった。
僕も無事手紙を書けたおかげで、その日の内にクラス全員の手紙が出揃い、すぐに届けることができるようだ。
そして句点を入れてたった8文字ではあるけれど、僕が摩中田さんの登校を待っているというそのまっすぐな気持ちが伝わるといい。
もとい、伝わるだろう。
あんなにストレートに思いをぶつけたのだから。
そう考える僕の心は、満足感に満ちていた。
まさかそのまま卒業まで摩中田さんが登校することがなかった事など、この時の僕には知る由もなかったわけで。
ぼ……僕のせいじゃないよね?
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