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失敗と向き合う

5月1日、僕はとあるポストをした。

プロ16年目の僕の、4年目の頃にあった出来事。
とても恥ずかしい過去であり、同時に自分にとって忘れられない教訓となった、僕のプロ活動を語る上で外せない一事である。

僕が思っていた以上の反応があり、インプレッションが増えれば増えるほど様々なリアクションがあるのがSNSの性質だ。

良いものも悪いものもあった。
「君はその程度か」と捨て台詞のようなリプを僕に送り、そのまま僕をブロックした人もいた。
少し悲しい気持ちになったが、僕はありのままの僕を発信することしかできないし、変に背伸びしたり理想論ばかりを掲げて聖人君子のような小車祥を作り上げる気もないので、これも仕方ないかとわりとすぐに受け入れることができた。

ポストした出来事をもう少しだけ細かく紐解いて書いておこうと思った。
どう書けばいいのかまとまっているわけでもないので、支離滅裂な文章になってしまうかもしれない。
基本的にプロットも作らずキーボードをカタカタ叩いてみて、後から文章足したり削ったりして記事をまとめていくタイプなので、書いてる途中でやめてしまうかもしれない。
この記事が世に出せれば、その暁にはそれだけもよくやったと自分を褒めることにしよう。


麻雀マスターズベスト16

これはとんでもなく高いステージ。
2年目と4年目でここに残れたがどちらも敗退する。
5年目で運よく優勝することができたが、それ以降は翌年のベスト16シード以外でここまで残れたことは一度もない。
麻雀プロにとってタイトルを獲得するということは、人生が変わるかもしれないほどの一大事。
少なくとも有象無象の麻雀プロの中から一つ抜け出し、たくさんの人に顔と名前を覚えてもらえるきっかけになる。
そしてそこからさらに自分のキャラクターや麻雀をアピールできて、誰かすごい人の目に留まれば想像もしなかったような大抜擢にも繋がるかもしれない。

そんなタイトル獲得の夢が、トーナメントをあと2つ勝って、さらに決勝で1/4を勝ち取れば届く。
高いステージでの対局経験を多く積んでいる者であれば冷静に戦えるのかもしれないが、プロ4年目の僕なんかは高揚しまくりで勝ちたい気持ちに押しつぶされそうだった。

対戦相手は荒正義、浅井祐介、平田孝章(敬称略)。
2年前にベスト16で敗退していることもあって、今度こそはという思いも強かった。
もう一度書くが、タイトル獲得というのは麻雀プロにとって一つの夢だ。
この夢には叶えた先があり、決してゴールではないのだが、それは獲得したことがない者にとっては知ったことではない。
「いつの日にか必ず」が、もう数日後かもしれない。
いや、きっとそうするのだと意気込んでその対局に臨むのだった。

そいつは突然現れた

知らなかった自分。
みっともない、弱い自分。

全3回戦の3回戦目を僕はトータル3着目で迎えていた。
条件的には少し厳しいがトップか並びができた2着なら通過かなというところ。
そんな最終戦の東4局くらいだっただろうか。
対戦相手の一人に、僕は痛恨の放銃をした。

「12000」

僕は「はい」と答え12000を出しながら確認をする。
本当は相手の手役を確認してから「はい」と言って点棒を出すのが正しい。
しかし時間打ち切りがある対局ではその辺りが前後しても仕方がないとされていたりするし、そもそも当時の僕にあまり余裕はなかった。
12000点を卓上に置きながら手牌を確認すると、その手は確かに倍満あることに気がついた。
10年以上前のことなのではっきりと牌姿までは覚えていないが、メンホン役一気通貫ドラドラとかだったんじゃないかな。
カン8ソウのダマだった気がする。

なんでもない時だったらこの時点で声が出たはずだ。
「あ、倍満ですね」とか。
何も言わず16000点に訂正して出すとかでもいいと思う。
これまでだってそうしてきていたし、自然な流れでそうできるはずだった。
どういう心境だったのかははっきりとは覚えていない。
ただ声が出ないまま数秒経ち、そのまま局が終わってしまった。
あと10秒猶予があれば言えたかもしれないし、それでも言えなかったかもしれない。
点数申告の間違いを訂正しなかったという結果だけが残った。

安東プロの叱責

本人ももう覚えてないないかもしれない。
マスターズベスト16は本戦の翌日なので、本戦に出場していた九州本部の人間はほとんど応援しに来てくれていた。
当時の対局は観戦自由で、地方本部支部の選手が勝ち残るとその同じ地方の仲間が応援しにくるというのは当時の通例だったように思う。

そしてベスト16で敗退した僕と仲間たちとで、近くの居酒屋に入って残念会のようなものが始まる。
そこで安東プロが聞いてきた。
「あの倍満、気付いてたの?」
僕は素直に答えた。
「気付いてました」
安東さんが言う。
「あれを訂正しなかった時点でおぐちゃんの負けだね」

この件について話したのはたったこれだけ。
その日以降にもこの話はしたことがないし、何かを言われたこともない。

ただこの時の一言が僕の脳裏に焼きつき、自分があの日大変なことをしてしまったんだということを何度も思い返させるのには、あまりにも十分な叱責となった。

そんな麻雀プロを僕は許せるのか

僕はなんで麻雀プロになったんだっけ。
遡れば元々吉本芸人やってて、フリーのローカル番組のリポーターになって、なぜかバンドマンになって、そのバンドも解散することになった時に、たまたまアルバイトしていた雀荘が日本プロ麻雀連盟九州本部の事務局も兼ねている店だった。
初めから高い意識で麻雀プロになったわけじゃない。
夢を失って生きることに途方に暮れていた僕が、その代わりになる何かを探すようになんとなく受けたプロテスト。
いわば夢の肩代わりだ。
ぽっかり空いた心の穴を埋めるように麻雀プロになった。

プロになった時にはプロ団体がいくつあるとか、有名なプロの人の名前とか、全然知らなかった。
二階堂姉妹とタキヒサくらいは知っていたけど、本当にそれくらいしか知らなかった。

じゃあいいじゃん。
元々高い意識でやってたわけじゃないんだろ?
なんとなく試合出てさ、勝って喜んで負けて悔しがって、そうやって楽しく活動したいだけなんだろ?

違う。
4年目の頃にはとっくに違っていた。
勝って喜んで、そう、勝てた時あんなに嬉しくて、みんながおめでとうって言ってくれて、俺がやってることって間違ってなかったのかなって思えたりして。
負けて悔しがって、そう、そのあと飲みに行く約束もキャンセルするくらい落ち込んで、俺なにやってんだろうって自分を追い込んで、どうすればよかったんだろうって反省して、次は同じ失敗しないぞってそういうのを繰り返して。
そしてまた対局の日が待ち遠しくて。

こんなに夢中になれるもの、簡単に手放すわけにはいかないじゃないか。
やるからには、全身全霊でやらなきゃ嘘だろ。
「麻雀プロやってます」って人に言う時、胸張ってプライド持ってやってますって、そう思えないならやる意味ないだろ。

だから僕はこの日の自分を絶対に許さない。
麻雀プロとはなんなのかは、それぞれが正解を持っている。
だからこれは僕の中だけの話でしかない。
この日の僕を誰かが許したとしても、特に気にすることじゃないのでは?と言ってきたとしても、僕だけは絶対に許さない。

そしてXにも書いている通り、他人には僕と同じ考えを求めたりもしない。
いろんな人がいるから面白い。

自分の生き方くらいは自分で決めさせてくれ。
たったそれだけの話。

というわけで

書きたかったことをなんとなく書き殴ったら、やっぱりあんまり纏まりもなく終わってしまいました。
せっかく書いたのでこのままアップします。
こんなものでお金は頂けませんので無料記事です。

それではまた気が向いたらnote書きます。
読んで頂きありがとうございました。

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