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僕について 第5話「うんこマン」

高野さんとの恋を掴み損ねた僕は、バレーボール部の部活動に専念することでそのペインから解き放たれようともがいていた。
坊主はモテないかもしれないが、バレーボールに打ち込む姿は誰かの目に止まるかもしれない。
とにかく僕は彼女が欲しかったのだ。

バレー部は全然人気がなく、新入部員はなんと僕一人だけだった。
2年の先輩が4人、3年の先輩が5人とかだったと思う。
3年生が卒業したらチームできんやんとか思っていた。

「毎朝牛乳を飲め」

バレー部に入ってすぐ、2年の浦野先輩に言われた。
牛乳を飲めば身長が伸びるという、きっと何の根拠もない迷信を先輩は信じていた。
浦野先輩は太っていて身長が低い。
バレーも上手くないからレギュラーにもなれず、身長が伸びればレギュラーになれると思い込んでいた。
まずあなたは痩せたらどうなんだと思ったが、先輩に絶対服従の運動部においてその思いを口にすることはなかった。

僕は正直に、毎朝牛乳を飲み始めた。
牛乳を飲み続けてしばらくして、僕の体にある変化が起こる。

しょっちゅうお腹を壊すようになったのだ。

牛乳は確かに栄養価の高い飲み物ではあるが、きちんと吸収されないのであれば飲む意味はほとんどない。
と、ホットマンという漫画に書いてあった。
せめてこの時に僕がホットマンと出会っていればと思うが、ホットマンが世に出るのはもっと後の話。
時空を歪めなければ叶わぬ願いだ。

今の中学生ってどうなのだろうか。
今の中学生のうんこ事情は。
僕が中学生だった頃、学校でうんこをするのはタブーだった。
もし大便コーナーから出てくるところを誰かに見られようものなら、次の日から僕のあだ名は「うんこマン」だ。
まずはクラスの男子からうんこマンと呼ばれ始める。
そしてそれを受けて女子達もきっと僕のことをうんこマンと呼んでくるだろう。
次の日くらいから隣のクラスの人からもうんこマン。
その次の日には別の学年の人からもうんこマン。
最終的には先生からも「うんこm…小車君」と呼ばれることになるかもしれない。
そんなうんこマンライフにセイハローするわけにはいかない。
願わくば、今の中学生は誰でも笑顔で「うんこしてくる!」くらい言える環境になっていてほしい。

僕は牛乳を朝飲み始めて度々学校でお腹を壊していたが、授業と授業の合間の5分休みを使って、誰も来ない体育館のトイレまでクソニカルダッシュをかましてうんこバレを回避していた。
そう、隠れうんこマンだったのだ。

とある日曜日。
その日はバレー部の練習試合があるとのことで、少し離れた梅林中学校まで遠征することになった。
1年生でまだほとんどボールにも触らせてもらえていなかった僕も、バレー部員として応援要員で一緒に行く。
自転車で一旦老司中に集まってから、全員で移動するということになっていた。

「ほら、牛乳!飲んでいきんしゃい!」

おばあちゃんが言う。
その日も僕は忘れずに牛乳を飲んで家を出た。

顧問の桑野先生に気をつけて行くように言われ、僕達老司中学校男子バレーボール部員一同は、キャプテンの梶山先輩に着いていくような形で自転車移動を始めた。
遠足気分で楽しかったのも束の間。
最初の坂を下りて個人商店マルヒロを越えた辺りから、突然僕のお腹が悲鳴を上げ始める。
(よ、よりによってこんな時に……!)
波打つ腹痛、激しく押し寄せる便意。
梅林中学校まではまだ30分以上はかかる距離。
どこかのトイレに寄りたかったが、僕には先輩達を止めてうんこがしたいと申し出ることはできなかった。

1853年、ペリーは黒船に乗って日本に来た。
ずっと鎖国を続けていた日本に来て、日米和親条約を締結した。
このペリーの来航によって日本は鎖国体制が崩れ、4年後の日米修好通商条約締結による鎖国政策撤廃へのきっかけとなった。

僕の大腸に停泊している黒船の中にいるペリーが言う。
「国を開けなさい」
何度も何度も、強く便意を打ちつけてくる。
開けるわけにはいかない。
いつまでも鎖国しているわけにもいかないことは承知しているが、今はまだその門を開くわけにはいかないのだ。
コウの門をだ。

折れそうになる心と開きそうになる門を支えてくれたのは、他でもないサドル大将軍様であった。
僕が尻を密着させている限りは、サドルはいつも僕のことを守った。
梅林中に向かう途中にある長い登り坂も、僕は立ち漕ぎすることなく座って漕ぐ。
「なんで立ち漕ぎせんの?」
当然の質問を投げかけてくる優しい桃坂先輩に、うまく返答できなかったのは少し心苦しかった。

「着いたぞー!ここが梅林中学だ!」
梶山先輩が言う。
助かった。
僕は大事な門と己の尊厳を守り切ったのだ。
自転車は体育館の横に駐輪するように指示され、全員の自転車をそこにとめた。
車で先に来ていた桑野先生と、梅林中学校バレー部顧問の先生が職員室前で僕らを出迎えた。

「おう、お前ら大変やったろ」
「みなさんこんにちは!今日はよろしくお願いしますね」

このタイミングでまた押し寄せる、一桁で魅せる激動の腸内革命。
base ability mind

ここにはもうサドルはない。
ずっと近くで見守ってくれていたあの人はもういない。
ちくしょう……
なんてこった……
おれはサドルのことを好きだってことが今わかった……

「先生すいませんトイレはどっちですかあ!」

まだなんか話してた相手チームの先生に向かって僕は空気を読まず質問をする。
僕にその永遠にも思えるほどの長い話を聞く余裕はなかった。

「えと…ここ入って右です」

僕は向かう。
ペリー一行が上陸を認められた久里浜へ。
僕の久里浜はすぐそこだ。
黒船でもなんでも上陸すればいい。
僕の幕末がここから始まるんだ。

僕は開ける、トイレのスライドドアを。
休日の学校のトイレに人はいなかった。
僕は開ける、大便コーナーの扉を。
長い戦いが終わる安心感。
僕の心はとても穏やかだった。
僕は開ける、長く閉ざされていた菊の門を。
ドアの鍵は閉めていなかったし、ズボンは穿いたままだった。
安心感に包まれた僕のケツの筋肉は、一気に弛みもうまったく力が入らなくなっていた。
もう少しあと少しのところで、僕の黒船は予定していた久里浜ではなく、僕のズボンの中に不時着した。

この教室で着替えるようにと言われたところへ、僕は向かった。
遅かった僕を2年の浦野先輩が待ってくれていた。
制服でここへ来たはずの後輩が長時間トイレに篭り、戻ってきたら体操着に着替えていて短パンはびしょびしょに濡れており、ほんのりうんこくさい。
何があったかは明白だったろう。

その後普通に体育館で試合があったのだが、その時桑野先生も「小車、座ってていいぞ」と優しく言ってくれた。
もう全員に僕がうんこを漏らしたことはバレていたけれど、誰も何も聞かずにその日が終わっていった。

僕は嬉しかった。
やらかしてしまったけど、先生や先輩達が優しくしてくれたことが。
この人達についていこう。
練習も頑張って、一緒に試合に出れる日を目指そう。
そう思っていたんだ。

次の日の朝、僕は朝練に行った。
その日の朝は牛乳は飲まなかった。
練習に来た僕に、一番優しかった桃坂先輩がこう言った。

「おはよう、うんこマン」

僕はバレー部を辞めた。


つづく。

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