冷やせなかった生茶
僕は定時制高校に4年間通い、19歳で卒業した。
同じ定時制高校の一つ上の先輩である稲野さんの影響で、高校卒業して吉本興業福岡事務所に所属する芸人となる。
きっかけは稲野さんが4年生の時の夏、福岡吉本公開オーディションがあるから見に来てくれと言われ、僕はそれを見に行った。
行動力が服を着て歩いているような人だった稲野さんは、そのオーディションで知り合った人たちに声をかけて月に2回お笑いストリートライブをやるようになった。
刺激されて僕もお笑いをやってみたくなり、そのストリートライブに出させてもらうようになる。
そしてそのストリートライブ仲間のほとんどがそのまま福岡吉本に入ることになり、吉本に入ってからもよくつるんでいた。
よくつるんでいた同期は、IMASOKARIというコンビを組んでいた池内(ボケ)と仲上(ツッコミ)、ストックホルムの安永(ボケ)と出口(ツッコミ)、この安永と後でコンビを組むことになる大羽(ツッコミ)だった。
そこにピン芸人だったミニカーしょう、つまり僕を入れて6人くらいでいつも集まってはダラダラ過ごしていた。
特にアルバイトもせずに、当時できたばかりだった劇場に毎日足を運んでお笑いライブを見たりネタの稽古に明け暮れていた僕らは、やはり金がなくてたまる場所もなかった。
僕らが溜まり場に選んだのは港のプロペラモニュメントの近く。
ググったら画像出てきたので載せておこう。
このモニュメントの近くはちょっとした公園みたいになっており、ベンチがあったりした。
隣が海で深夜に人は全く通らないので、ここで馬鹿騒ぎしたり、本気でネタの稽古をしたりしても苦情などは来なかった。
「ちょっとコンビニ行ってくるわ」
大羽と安永がコンビニに行った。
IMASOKARIの池内と仲上は少し離れたところでネタの練習をしていた。
僕と出口が2人でそこにあった小屋の前くらいに座って話していた。
当時の僕らは19〜20歳の超若手芸人。
面白いかもしれないことには貪欲に取り組む傾向があった。
今だったら考えられないような行動も、まだまだガキンチョだった当時には悪ふざけでやってしまっていたことも多かった。
そこには仲上が飲み終わったKIRIN生茶の空ペットボトルがあった。
僕はおもむろにそのペットボトルに用を足した。
出口も面白がってそれを見ていた。
「これさ、仲上間違って飲むんじゃない?」
目をキラキラ輝かせながら出口が言う。
確かにそのペットボトルに入った液体は、かなりちょうどいい色合いになっていた。
「生茶や!本当の意味で生茶や!」
僕と出口は大はしゃぎ。
遠くで真面目に漫才の練習をしている仲上が戻ってきたら、これを飲ませる気満々だった。
いやまぁ正直、本当に飲みそうになったらさすがに止めるとは思うんだけれども。
ただ飲みそうになるところまででも見てみたい衝動に駆られた。
しかし、ここで大きな問題が発生する。
「だめや!あったかい!」
僕の生茶はまだ温かすぎて、手に持った瞬間それがKIRIN生茶ではなくMININ生茶だと気づかれてしまう。
出口はすぐにこう言った。
「冷やそうぜ!」
そう言うと出口は僕の生茶を手に持ちテンションMAXで立ち上がり、近くの公衆トイレに向かって突然の猛ダッシュをかました。
あの港のプロペラがある広場が一体なんのために作られたスペースだったのか、未だによくわかっていないのだが、所々にロープが張られていた。
別に立入禁止というわけでもなく、厳重にロープが張られているわけでもない。
ただ本当にランダムに、所々にロープがあったのだ。
テンションフルMAXで立ち上がり、深夜の暗がりの中で突然走り出した出口は、このロープを完全に見落とした。
1本のロープを顔面で受け止める形となり、それがちょうど口の部分にハマり、勢いよく走っていた出口は首から下だけが前へ進もうとする形になり、思いっきりコケて後頭部を地面に強打した。
緩めにしかキャップを閉めていなかった僕の生茶。
その生茶も思い切り地面に叩きつけられキャップが外れ、そのまま飛び散ったMININ生茶を出口はめっちゃ浴びた。
その様を見て僕は少し心配しながらも大爆笑。
少なくとも1分は立ち上がれないくらい笑い転げた。
出口も散々な目に遭っているにも関わらず自分で爆笑していた。
その様子に気付いてネタの練習をやめて近寄ってくる池内と仲上。ちょうどコンビニから帰ってきた安永と大羽。みんなに経緯を話したが、みんなめちゃくちゃ笑ってくれた。
「出口、口のところ血出てるよ」
安永が言う。
確かに少し切れていた。
まぁ出口も人の小便を浴びて臭いことだし、怪我もしたから今日は解散しようかという流れになった。
当時の僕らの毎日はいつもこんな感じで、必ずと言っていいくらい爆笑するクラスの面白い出来事が毎日起こっていた。
だからまぁ今日は楽しかったなーくらいでその日は帰宅しただけだった。
翌日、また同じように僕らは劇場に集まった。
そこに登場した出口の顔に、僕らは驚かされることになる。
こんな感じで赤いアザができていた。
血を吐いているわけではない。
それからしばらく出口は「ロボット」とか「腹話術の人形」とか呼ばれた。
こんな形のアザを作った奴を、僕は出口以外に知らない。
きっとこれから出会うこともないだろう。
その後、彼はコンビを解散し、EXITようすけというミニカーしょうのパクリのような名前のピン芸人になったが鳴かず飛ばずで引退。
東京に出て地獄のような貧乏生活を送り、福岡に戻ってきて今はあまり売れてはいない小説家をやっている。
数年前に大羽の結婚式でかなり久しぶりに会ったが、口の線は消えていた。
あのままもうロボットか腹話術の人形になればよかったんじゃないかと思うんだ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?