見出し画像

言葉は要らない、ハグがあれば。

海外で生活していると、ハグされることがよくある。初めてハグされたとき、距離感を大事にする日本人としては少しとまどい、気恥ずかしい思いをしたが、人は慣れるもので、今ではハグされても何も恥ずかしくない。それどころか、日本でもハグする文化があればいいのにと思うようになった。

友人や家族が悲しんでいる時、どう声をかけるべきかいつも悩む。どんな言葉を使っても不適切な気がするし、いくら言葉を重ねてもこちらの気持ちを半分も伝えられない。そんな時、ただ黙ってハグできれば、それだけでいいのにな、と思う。

言葉とは不自由なものだ。だからこそ、あらゆる芸術家や音楽家たちが言葉でとらえることのできないものを違う何かで表現しようとしている。私が好きな写真家のひとりである中平卓馬はこんなことを言っていた。

ぼくたち写真家にできることはすでに言葉ではとうてい把えることのできない現実の断片を、自らの眼で捕獲していくこと

プロヴォーク創刊号

今の世の中、SNS上では言葉が氾濫しているけど、どこか薄っぺらく感じるのは現実の断片をとらえられていないからかもしれない。私もこのnoteで言葉を使って自分が感じたことや思ったことを表現しようとしているが、自分の気持ちさえ完全にとらえることができず、もどかしい。

noteは不特定多数に向けているので、言葉の代わりに読者をハグするわけにもいかないし、困ったものだ。とりあえず写真で足りない部分を表現してみようかなと最近は考えている。

ハグの代わりになる写真、これもまたハードルが高いけれども。

いいなと思ったら応援しよう!