ヤカンに見下される私
我が家ではお湯を沸かすのに銅のヤカンを使っている。熱伝導率が高いので早くお湯が沸くし、使い込んでいくと飴色になるのが気に入ってるが、唯一の難点が取手も銅製なので、お湯を沸かすと熱くてそのまま持つことは出来ないという点だ。取手だけ樹脂や木製になっているヤカンもあったのだが、デザイン的に銅以外の余計なものがついていることが気に食わず、熱くなるのは分かったうえで購入した。しかし、毎日使うものなので、お湯が必要な時にいちいち鍋つかみを使わないといけないのはなかなか面倒だ。
効率性を考えれば、お湯を使うだけのために鍋つかみが必要という状況は無駄以外の何物でもない。ビジネスの世界では無駄イコール、悪である。そうしたビジネス的思考に毒されている私は、家にいても効率性を追い求め、このヤカンはストレスの原因になっていた。
しかし、のんびりと毛づくろいをしている猫を見ていたら、ふと何をそんなに生き急いでいるのだろう、と思った。
我が家ではヤカンと猫の周りだけ、流れる時間が異なる。彼らはなんとも優雅で、王侯貴族のようだ。時間に縛られて、時間に追われている人間を、きっと蔑んだ目で見ているに違いない。
食べるためには働かないといけないし、働くためにはどうしてもせわしなくなってしまうが、人間も少しくらいはゆっくりとした時間の流れの中で生きたい。
試しに今朝、お湯が沸くのを待つ間、何も考えずにボケーっとしてみた。しばらくすると、火にかけていたヤカンから蒸気があがり、カタカタと音を立てだす。
すぐには火を止めず、そのままにしていると猫が小さくニャーと言った。
少しだけ彼らに認められた気がした。