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ジャズを「聴く」

今の時代、音楽を聴くために音楽をかけている人はどれだけいるだろう。

お店にいけばどこもかしこも音楽がかかっている。そして自分も、自宅で作業する時や車を運転する時、よく音楽をかけている。しかし、それは「音楽を聴くために」というよりはBGMとしてかけている、ということに最近気がついた。BGMとして音楽をかけていると、音はただ素通りし、何も残らない。

そのことに気付いたのはジャズサックスを始めたことがキッカケだ。ご存知の方も多いだろうが、ジャズは、アドリブで成り立つ世界だ。仕上がった楽譜をただなぞるのではなく、その場で音楽を作り出していく。

最近は毎日サックスのアドリブを練習しているが、この前カフェに行った時、いつもはたいして耳にも入らない「音楽」が飛び込んできた。それはジャズだった。アドリブが、カッコよくて、聴き入ってしまった。

ジャズサックスを始めて、アドリブという世界を知り、そこから、ジャズに対する認識が変わり、同時に音楽そのものの「聴き方」が変化したように思う。

だから、前はたいして良いと思わなかったジャズを聴くのが異様に楽しい。しっかり聴くほど、しっかり面白い。サックスを始める前はジャズは単にオシャレなカフェミュージックだと思っていたが、音楽としてしっかり聴いてみると、そこには自由があり、熱量があり、演奏する人の感情まで見えてくる。

今では音楽をかける時はジャズ一択である。最近のポップスやロックのなかにも、もちろん良い曲はあるのだが、きれいにまとめられ、完成されすぎていて余白を感じることができない。音楽レーベルのマーケティングに踊らされ、「こんな曲好きでしょ?」と言われているようで、どこか押しつけがましく思えてしまう。そうした曲を聴いていても、ただ音楽を消費しているように感じるようになってしまった。

ジャズは余白が大きい。同じ曲であっても演奏者ごとに全く異なる音楽になり、即興だからこそ完璧ではない。この不完全さも人間らしさを感じられて面白い。演奏する側としての面白さは言わずもがなであり、聴くのも、演奏するのも、最高の暇つぶしだ。

ところで今、スタンゲッツの”Softly, As In A Morning Sunrise”をかけながらこの原稿を書いているのだが、曲に聴き入ってしまって筆の進みがだいぶ遅くなってきた。

そろそろ、ピアノソロが終わる。次は、ジョニーグリフィンの”Black Is the Color of My True Love's Hair”にしようかしら。


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