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【読書感想文】親の離婚を通して読む『そして、バトンは渡された』

私は大学4年生の女(22歳)です。
突然ですが、私は両親が小学5年生の頃に離婚したため、一度姓が変わるという経験をしています。そんな私が、瀬尾まいこさん著『そして、バトンは渡された』を読んで感じたことを以下に記録します。

『そしてバトンは渡された』は、2019年に本屋大賞を受賞し、この秋に永野芽郁主演で映画化された人気の小説です。
現在90万部ほど売れているみたい。

作品の主人公である優子は、事故で母親を亡くし、父親に引き取られるも父親が再婚・離婚し…などというように、親がどんどん変わっていくという運命を辿ります。その様子が、バトンによって繋がれる「リレー」を模して描かれているのです。
作中の優子は全く不幸ではなく、大人たちの愛を一心に受けて幸せに育っていきます。

私がこの本を読んで思ったのは、

親の離婚によって姓が変わることを、こんなにナチュラルに受け止められるものなのだろうか?

ということです。

私は、姓が変わってから初めての登校で、
「あいつ名字が変わってる!」
「親が離婚したんだ…かわいそう」
などと周囲から言われ、哀れみや好奇の視線を受けたことが忘れられません。
その経験から、姓が変わることにポジティブな印象は全くなかったし、自分の子どもにはどうかこういった経験はさせたくないと考えていました。
そのため本書で、こんなにも優子が親が変わることをたじろがずに受け止めていることに、ある種うらやましさを感じました。

上白石萌音さんは、解説で優子に関して

その静かな強さ、どこか達観していて凛とした姿が頼もしい。大変な思いをした分、増えた節をしなやかにしならせる。まるで竹のような人だ。

本文・解説より

と語っていますが、その通りだと思います。

しかし、実際にこのような気持ちになることができるだろうかと疑問に感じたました。この強さは誰にでも持ち得るものではないし、もしこのような境遇にいる子と知り合ったら、私はメンタル面をいくらか心配をしてしまうと思います。
私も親の離婚後には愛されて育ったけれども、ほかの家族と比較すると、自分の家族が「完全な」家族ではないことがとても気になっていました。
優子は他の家庭と比較している形跡はなく、そこがすごいなと思うけれど、私はやっぱり、メディアがあって、そこに家族が描かれていたら、自分の家族と比較してしまうと思う。
だから、優子という存在はある意味「フィクション」なのかなと感じました。

それからもう一つ感じたことは、

子どもってなにも聞かされないよね

ということです。とても共感したのは、

大人はいつも子どもの知らないところで、動いている。

本文より

というところです。
私も親が離婚の話を進めていることは何も知らず、ある日突然聞かされました。それまで確かに、両親が一緒にいるところはあまり見なかったけれど、そこまで関係が危機に陥っていたとは思っていませんでした。
だからこそ、聞かされた時は本当に驚いたし、なぜ相談してくれなかったのかと無力感を感じました。
大人は、大事なことは子どもに教えてくれないのだなぁ、と。

作品中では、大人がついていた嘘、隠していた物事や、隠していた理由が後から判明しますが、優子はそれを怒ることもなく、その人の立場であったら確かにそういう選択になるだろう、という納得の仕方をしていました。
それは本当にすごいと思うけれど、私は大人のエゴで子どもの選択肢を奪ってはいけないと思うし、優子みたいに納得してくれることを、子どもに求めるべきではないと思います。

少し批判的な読み方になってしまったけれど、私が感じたことはこんな感じでした。
周りの友達にはすごく人気で、温かい気持ちになる小説であったことは間違いないと思います。
まだ読んだことがない方は、ぜひ読んでみてください。

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