開闢宰相楊廷和は復明の救世主となるか(第1回)

 さる9月29日、大明復興委員会(大明委)第2代首輔(代表)選が行われた。結果は楊廷和(敬称略)が単独で得票率50.5%を獲得、決選投票は行われずそのまま首輔への就任が決まった。
 楊廷和は翌30日の就任式後の記者会見で早々にYouTubeチャンネルと明華社通信の公式サイトを設立したことを発表。公約通りのSNS活用に記者団を驚かせた。
 本稿は明華社通信の公式サイト(note)設立後初めての記事として執筆するものであり、首輔戦の分析及び今後の大明委の行く末を論じるものである。

現職首輔の敗北が意味すること
 大明委が正式に設立されたのは2019年1月、設立当初から首輔を務めていたのは張居正。前身である復明委員会の時から首輔として活躍し、明朝遺臣を一つに結集した大明委の立役者だ。実務能力、政治手腕は委員内随一で設立直後の統一地方選及び参議院選では大明委を勝利に導き、一躍国政への飛躍も果たした。
 そもそも、大明委には首輔選の定めがない。大明令には「首輔は大学士一人以上の推薦を受けることで立候補することが出来る」とあり、首輔に立候補するための条件は書いてあるものの、どういう状況の時に首輔選を行うかについては言及がない。「この令に定めのないことについては首輔が裁決権を有する」と書いてあるとおり、首輔には絶大な権限が与えられている(当然皇帝権の範囲内での話だが)。

 首輔選も行うも行わないも現職首輔次第のこの制度についてあるベテラン尚書はこう言う。
「だれしも自分がリーダーでやり続けたい。でも齢には勝てない。そんな時に首輔選が行われます。引退表明と後継者争いとしての首輔選ですね。しかし、今回は違った。張居さんはまだまだ若い。喪に服さなければいけないわけでもない。でも突如として首輔選をやると言い出した。みんなびっくりしましたよ。しかも首輔選に張居さん本人も出るって言うんだから二重でびっくり。じゃあなんで首輔選やるんだよってね。」

 張居正の行動に大明委内でも混乱していたようだ。しかし、張居正に近い別の委員は、
「実のところ、張居さんのリーダシップがかなり落ちていた。各委員が統一前の派閥単位で行動するようになってきていたんです。張居さんはそれでもうまく大明委をまとめていたんですが、一度力の差を見せつけてやらにゃあいかんと飲みの席で話していましたね。」と教えてくれた。どうやら自身の正統性を示すために選挙で信を問うという目的があったようだ。

 しかし、逆に力を見せつけられたのは張居正だった。

 結果は次点、楊廷和新首輔にその座を明け渡すことになった。このことについて、先ほどのベテラン尚書は、
「首輔選決定の閣議後1日は大混乱でしたよ。しかし、これチャンスとばかりに各派閥の後ろ盾を得た人たちが名乗りを上げたんです。張居さんも焦ったんじゃないですか。だって自分以外やれる人間がいないだろうと思っていたのに「それなら俺がやってやる」って人が3人も出てきたんですからね。張居さんもあわてて今までの経験とか安定感を売りに出したけど完全に逆効果、じゃあ首輔選やるなよって話ですからね」と語る。
 現代日本に転生した明朝遺臣の中でずば抜けて適応が早かった張居正。彼が作ったといっても過言ではない大明委であったが、他の明朝遺臣たちも着々と力を蓄えていたのだ。それは奇しくも張居正自身が整えた組織機構によって育てられた人材であった。
「張居さん本人は悔しいでしょうね。でも、組織としては良いことだと思いますよ。復明の選択肢を示せるわけですから。」
ベテラン尚書はどこか楽し気に話す。

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