開闢宰相楊廷和は復明の救世主となるか(第2回)
さる9月29日、大明復興委員会(大明委)第2代首輔(代表)選が行われた。結果は楊廷和(敬称略)が単独で得票率50.5%を獲得、決選投票は行われずそのまま首輔への就任が決まった。
楊廷和は翌30日の就任式後の記者会見で早々にYouTubeチャンネルと明華社通信の公式サイトを設立したことを発表。公約通りのSNS活用に記者団を驚かせた。
本稿は明華社通信の公式サイト(note)設立後初めての記事として執筆するものであり、首輔戦の分析及び今後の大明委の行く末を論じるものである。
張居正に反旗を翻した3人
前回は、張居正が自身の権威回復のために企図した首輔選が却って自身の首輔声明を断った背景について論じた。本稿では、「反張居正」を掲げ首輔選に打って出た3人の候補について解説する。
楊廷和-大明委きってのスター-
武英殿大学士。大礼の儀と王府制度を考える会代表(以下大礼会)。張居正内閣では2019年から20年までの間に広報を担当していた。しかし、SNSの利用を巡り張居正と対立、20年秋からは大学士の職に就きながらも、冷や飯を食わされていた。
彼が領袖を務める大礼会はハルイ派、南明会に次ぐ委員内3番目の大所帯。建文グループの流れを汲んでおり、頭脳派集団で知られている。しかし、実務面で圧倒的手腕を持つ張居正の前に同会は後塵を拝す状況が続いていた。特に楊廷和がSNS担当を下ろされてからは大礼会ももう終わりかというムードが漂っていた。
しかし、この間も楊廷和本人は全く諦めていなかった。信奉する正徳帝の廟に毎晩のように通っては今後の方針を帝の霊と話し合っていたという。事実としてSNS担当が鄭和太監(実質張居正直轄)となってから、Twitterの人気は伸び悩み、党勢にも陰りが見えていた。ネタツイ、クソコラに代表される楊廷和の広報手法は生真面目な張居正-鄭和連合や海瑞ら一部の無派閥には評判が悪かったが、有権者への評判はよかった。SNSは自分が一番得意だという自負と確信が楊廷和を腐らせなかったのだ。
彼にとって人気投票の側面も持つ首輔選はまさにうってつけの舞台。自分を追い落とした張居正へのリベンジマッチとして首輔選への名乗りを上げた。
夏原吉-まじめすぎる金庫番-
文淵閣大学士。無派閥だが、キャリアの長い戸部を地盤とする子飼いの官僚たちからの人望が厚い。また、無派閥一の有名人海瑞、財政再生論者である矢野康治財務相事務次官と親交がある。
彼を一言で言うなら「真面目な金庫番」。金と経済について語らせたら大明委の中で彼の右に出るものはいないだろう。余談だが、MMT(明代貨幣理論)の提唱者は彼である。
そんな彼が首輔選に出た理由、それは党内改革である。
周知のとおり大明委は参議院に29議席、西日本を中心とする地方議会に多くの議席を持つ。大明委の主な収入源が委員会と委員に交付される政党交付金や政務活動費だ。その用途を決めるのが内閣メンバー6人で行われる閣議である。しかし、これは建前で、実際は張居正首輔一人の専決により委員会内の予算が編成・執行されていた。
夏原吉はこれに我慢がならなかった。「世を經め、民を濟ふ」この言葉を自身の執務室入り口に掲げている彼にとって、公金の独占は言語道断であった。併せて首輔に権限が偏りすぎている大明委の組織機構の改革も指向。
夏原吉は「委員会財政の透明化」「首輔権限の分散」を掲げ出馬。戸部畑及び一部無派閥委員の後ろ盾を得て首輔選に臨んだ。
網浜奈美-自称サバ女の面目躍如-
北東支部山梨巡撫。唯一の非明人候補である。彼女は都内某出版社に勤務しながら大明復興委員会に所属するバリキャリウーマンである。李賢東閣大学士(ハルイ派)の目に留まり委員内で順調に昇進、現在まで非明人で初にして唯一の巡撫である。
首輔への立候補は現役大学士1名以上の推薦があればよい(自薦可)。このことは首輔になるには一度大学士を経験しないといけないという暗黙の了解を意味する。このルール自体は悪いことではない。大明を復興する崇高な志を持った組織のリーダーには並外れた実務能力と判断力が要求される。首輔の同輩として実務経験、政治経験を多く積んだ大学士経験者自らが出馬、もしくは彼が推した人物がなるべきという理念の体現である。
しかし、網浜さんは巡撫と相当格下である。総督、尚書のキャリアを積んでからの大学士入り、そして首輔選の立候補が一般的な中で、3段飛びの首輔選立候補には李賢が人肌脱いだ。
李賢東閣大学士はハルイ派に所属しており、当初張居正の応援を表明していたが、楊廷和、夏原吉の2名が立候補するという情報を察知するや張居正の応援から突如手を引く。そして週明けの告示当日に網浜奈美の推薦を表明したのである。
これには李賢と当人網浜さん以外の大明委一同が驚愕。網浜さんが管轄する山梨支部のメンバーさえも知らなかったというから完全な奇襲である。
なぜ李賢は所属する派閥の領袖張居正を推さずに網浜さんを推薦したのか。もっと言うとなぜ自身は立候補しないのか。首輔選が終わった今、、本人が答えてくれた。
「まず、面白いから。次に多様性ですね。首輔選は最初張居さんの信任投票だったわけですが、候補者複数鼎立の公算が大きくなった。それだったらかき乱して面白くした方が見ごたえがありますよね。そして何より我々の目的は復明。復興大明には多種多様な民族、思想の持ち主が包含されるわけです。非明人である網浜さんでも、って言ったら失礼ですけど、誰でも首輔になれるんだぞということを内外に示したかったってのもあります。」
しかし、泡沫候補のそしりもあった通りほんとに当選しても網浜さんに適性はあったのだろうか、という筆者の質問に対し、
「彼女の能力を買っての推薦です。それに大明委は一人で動かしているものではありません。一度首輔が決まれば一同全力で首輔の言うことを聞きます。復明の志は同じですからね。」
「壊し屋」と恐れられながらも常に大明委の中枢にいる李賢。彼の政治信条を垣間見た気がした。
これまで、各候補が出馬するに至った経緯を書いた。次稿では、首輔選の様子を解説する。