もし大切な人が明日亡くなるとわかったら、あなたは今日何をしますか?
昨日驚きのニュースが流れてきた。
神田沙也加さんの訃報だ。
何が起きたのかはわからないが、
亡くなった、という事実だけは本物だ。
アナと雪の女王の、アナの歌声はとても素敵だ。
それが聞けなくなるのは本当につらい。
そして本名がバレてしまうが、
私もサヤカという名前。
両親が名前を決めるのに、神田沙也加さんが話題にあがったこともあり、自分のことの様に感じてしまった。
その少し前の大阪、北新地でのビル火災も
かなりショッキングなニュースだ。
逃げ場のないビルで火災を起こした犯人。
火が消えるまで30分だったそうだが、
その間に24人の命を奪った罪は重い。
自殺を図った様子だが、
犯人は重篤ながらも今生きている。
こんなことを言ってはいけないのだろうけど、
巻き込んでまで死のうとしたのに、死にきれなかったなんて何て皮肉なんだろう。
動機解明の為に、お医者さんには懸命に治療してほしいけど、犯人の動機を聞いて何になるんだろう?と複雑な気持ちになる。
父が自殺してから、親戚は手のひらを返すように
視線が冷たくなった感じがした。
遺書がなかった為、自殺の理由に関して、あることないこと言ってくる親戚がいたらしい。
娘の私の前で、父と結婚しなかったほうが良かったね、とうつ病真っ只中の母に吐き捨てるように言った人もいた。
高校生だった私は「何やと?」と反論して、
親戚中を黙らせた。
本当のところは何を考えてるのかはわからなくても、目の前で言ってくる方がいいのかもしれない。
SNSが発達した世の中では、
余計に生きづらくなったなと感じる。
SNSには“叩かれる”なんて表現がある。
会ったこともない人に叩かれるって、恐ろしい。
最近会ってない人のキラキラSNSを見て、
羨ましがったりする人もいるのではないだろうか。
このキラキラSNSの裏でいっぱい泣いているかもしれない。裏で歯を食いしばってがんばってるかもしれない。
全部見えているようで見えないSNSは、
上手に使わないと、取り返しのつかないことになるかもしれないと考えるべきだ。
そんなことを考えていると、
暗い気持ちになってくる。
もう大切な人を変な形では失くしたくない。
神田沙也加さんも、北新地のビル火災の被害者も加害者でさえも、誰かの“大切な人”だったはず。
直接的でも間接的でも、自分自身だったとしても、
誰かの大切な人を奪うのはよくない。
ふと、こんなワードが出てきた。
この考えがあったら、毎日優しく生きよう。
と思えるような気がしてきた。
誰かの優しさが誰かを救うかもしれない。
例えそれが影響の少ないものだとしても、
恐ろしいことをしようと考えている時に、
どこかで引っかかるかもしれない。
そうすれば、少しでも生きづらさがなくなるかもしれない。
もう1度書かせていただきます。
もし明日大切な人が亡くなるとわかったら、
あなたは今日何をしますか?
あなたも私も明日生きているか、わかりません。
「あの時あれをしておけばよかった」
「あんなこと言わなければよかった」
そうなる前に今日後悔のないように生きましょ。
P.S.神田沙也加さん、北新地の火災でお亡くなりになった方々のご冥福をお祈りします。
1日でも良い世の中になる為に、皆さんの分もがんばります。