スクールバス通学
小学校から記念誌が届いたからか、小学生の時の思い出をちょこちょこ思い出すことが増えた。
伯父や母が分校に通っていたという話を以前したが、5年生・6年生になると、本校へ通っていたらしい。山の中のお家から本校へ通うのは容易くない。
(だから分校があったのだと思うけど)
まず自転車で最寄り駅へ行く。
(車どおりが多いから危なそう)
→電車で1駅乗る。所要時間8分くらい
→バスに乗り換えて4分。
→歩き5分ほど。
乗り換えに時間がかかるだろうから、1時間はかかりそうだ。
車だと10分ほどだというのに、車を運転できない小学生の通学はかなり遠回りになってしまう。
実は、自転車で最寄り駅に行く時点で県境を超えている。隣の県の小学校の方が近いのでは……?
(それでも自転車通学になっていそうだけど)
しかし住所の兼ね合いからそれはできなかった。
天然ほわんほわんな母が、小学生の時にそうやって通っていたことを聞いてビックリした。
見かけより体力があるのは、この時期に鍛えられたからなのか。
私が在学しているときは、分校は既に存在していなかった。(正確には休校していたらしい)
1年生の時だけ私は母の実家から通っていた。
しかし母のような大変な通学ではなく、スクールバスが存在していた。
最初にスクールバスに乗った時のことを思い出す。
同級生の男の子が1人いて、私とその子が1番前に座った。後ろに4年生〜6年生のお姉さん・お兄さんが4人ほど座っていた。
スクールバスの運転手のおじいちゃんが、「あなたは最後に乗せるから、それまでに出る準備をするんだよ」と言っていた気がする。
しかし母以上にどんくさかった私は、準備に手間取って、よく運転手さんからインターホンを鳴らされていた。
しかもバス降車時によく忘れ物をする。
(ランドセルから何も出さないはずのになんで?)
1年生の教室は1階。
教室の窓から運転手さんがほいっ、と届けてくれた。
そんなある日、バスのドア上に磁石が4つついているのを見つけた。
そこには、“○○ のる”、
裏をひっくり返すと、“○○ のらない”と書いていた。(○○には名前が書いている)
「これ何?」と私はバスの運転手さんに聞いた。
バスの運転手さんはこう答えた。
「高学年になったら、まっすぐに家に帰らずに塾に行ったりする子がいるの。
だから、このバスに乗って帰らない時は、前もって“のらない”って意思表示するんだよ。
そしたら、いちいち『今日乗るの?』って聞かなくて済むでしょ?」
今になればわかるが、この頃の私には理解できなかった。「じゃあ“のらない”子はどうやって帰るの?」という疑問が出たからだ。その答えが先述したバスと電車を利用するということだったのだろう。
駅には公衆電話がある。きっと電車を利用する時は「今から電車乗る」とご家族に電話すれば、最寄り駅まで迎えに来てくれたはずだ。
もしかしたら塾が終わる時間に車で迎えに来てくれたかもしれない。
どちらの場合も、大人の協力があったんだなと今更ながら思うところだ。
スクールバスだって、学年が違えば帰る時間も違ってくる。運転手さんは1日何度か往復していたんだなとしみじみ考えてしまった。
スクールバスを出している公立の小学校はどれぐらい残っているのだろう?私の母校だって、あの地域から小学生が今いるのかわからない。
しかし、そういった温かみがある存在が今もあるといいなと思った。
ちなみに、“のる・のらない”磁石で同級生とバスの中で遊んでいて1つ失くしたことがある。
親に言ったら怒られるかもしれなかったから言わなかったけど、運転手さんは全く怒らず新しいのを用意してくれたのも、またいい思い出。