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生き方の幅
「生き方の幅」というタイトルを不審に思ったあなた!!実はこれノーベル経済学賞をとったA.K.センっていう学者さんが提唱しているケイパビリティの訳語の一つなんです。え???ですよね。ケイパビリティは英語のcapabilitiesをカタカナにしたもので、もう一つの訳は「潜在能力」。どっちもわかったような、わからないような言葉です。実はこれ、異なった社会、あるいは同じ社会で一人一人がどんな生き方が可能なのかを表す物差しです。
例えば日本。同じ年・同じ地域に生まれた二人の子供。一人はそこそこ裕福な家庭で、両親も大卒。もう一人は母子家庭に生まれました。さてこの二人の人生は…。とりあえず大学へ行けるかどうかを考えてみてください。勉強ができるかどうかは、もちろん才能もあります。でも統計を見ると母子家庭の大学進学率は23.9%、全世帯では53.7%。母子家庭に生まれると大学へ行くのは相当厳しいということがわかりますね。ということは大卒が条件になっているような職業に就く可能性も相当厳しくなります。そこで、高卒と大卒でどれだけ初任給が違っているかというと…。高卒初任給が16万8,900円(女性は16万4600円)、大卒初任給は21万2,800円(女子は20万6,900円)。同じ日本に生まれても、母子家庭に生まれた場合と、そこそこ裕福な家庭に生まれた場合とでは、選択肢が異なってしまうことがわかると思います(統計的、確率的にですが)。恵まれていれば大学へ行くことも、行かないことも選択できますが、恵まれていなければ大学へ行くという選択肢がそもそもないことがあるわけです。
このように同じ社会・同じ年齢で見た場合、あるいは異なった社会・同じ年齢で見た場合、どれだけの選択肢があるのかを表しているのがcapabilities(なので「可能な」が複数になっているのです)。個人的には「生き方の幅」という言い方が気に入っているので、ここではこれを使います。
ことの発端はCWB7カ国が毎週1回開いているスカイプ会議で「平和」が話題になったことです。各コミュニティで平和のイメージが全く異なっている(これについてはアーカイブでまとめています)のも驚きの一つですが、議論の中で出てきたのが「自分自身の魂の安定・穏やかさ」と「周囲が安定していること、争いのないこと」の二つの軸です。意外なことに、日本から見れば不安定な社会のコミュニティの人ほど「自分自身の魂」を平和の基礎にし、日本人ほど「周囲が安全であるか」を問題にしていました。これはある意味当然なのかもしれません。周囲の安全を確保できない、あるいは確保するには大きな力がいる状況では、平和を自分の裡に求める。周囲の安全や安心に自分の力を及ぼすことができる状況では、周囲の安心や安全が平和であると思う。その違いなのかもしれません。
その違いは、そのまま社会状況の違い、格差を表しているのでしょう。けれどそれを格差という言葉ではなく「生き方の可能性」「生き方の幅」の違いとして考えてみたいのです。たとえ生き方の幅を拡大することが難しい状況であっても、生き方を自分のものにするために。逆に生き方の幅が広いように見えても、実は自分の生き方を貫くのが難しいところで、自分の生き方を自分で選択するために。