狂騒

朝の雉 聲も響きて けふ奏す
嘴にはしばし 米の一粒

「狂騒の20年代(Roaring Twenties)」と呼ばれ、経済成長、社会の変化、そして新しいライフスタイルが花開いた1920年代アメリカ。
この時代について調べてみると、当時の女性たちの新しい姿を象徴する文化が見えてくる。

「フラッパー」

自由で大胆な生き方を追求し、旧来の価値観に挑戦した若い女性たちのことである。

禁酒法の影響で合法でなくなった酒の影響もあり、人々がより派手で大胆な行動に出るようになったこの時期、女性たちはそれまでの制約を打ち破るような生き方を追求し始めた。
たばこを吸い、車を運転し、ジャズダンスに興じる姿は、保守的な人々にとっては、さぞショッキングだっただろう。

だがそれは同時に、新しい時代の象徴として注目も集めた。
自分たちの人生を謳歌し、自由な表現を追求したこの狂騒と解放の精神は、1920年代を象徴する「時代のコンテキスト」となって、現代に語り掛けてくる。

現代においても、女性たちは新しい挑戦と自由の追求を続けている。
「第二次フラッパー」ともいえる現代の女性像は、テクノロジーの発展やグローバル化によってますます多様化し、社会における影響力を拡大している。SNSやインターネットを活用して自らの声を発信し、ジェンダー平等や自己表現の重要性を訴える動きは、まさにフラッパーの精神を現代に引き継いでいるように見える。

一方で、つながり過ぎによる連帯感や帰属意識の増幅が、かえって閉塞感を生んでしまっている現実がある。その中ではフェミニズムとアンチフェミニズムの対立が、個々の具体的な経験や問題提起を「群れ」の一部として扱い、一人一人の声の本来の重みを薄れさせてしまうケースもみられる。

日本においては、孤独死のボリュームゾーンにおいて20代前半の女性たちが非常に大きな割合を占めている。
日常の疲弊感、徒労感に加え、孤立感とも闘いながら力尽きた彼女たちの声は、なぜ誰にも届かなかったのか。

加熱する群像の声がハウリングを起こす現代。
個の声は、どうすればもう少しクリアに響くのだろう。

いいなと思ったら応援しよう!