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[前編]ピュア爺のつくるピュアな布-岡山県/ギャバジン-

日本諸国テキスタイル物産店の広報紙「民ノ布」にてご紹介する「みんふ」は、日本諸国テキスタイル物産店のプライベートレーベルです。
そして、みんふのものづくりを支えているのは、岡山県の児島にある「石井織物工場」さん。
「みんふ」のデザイナー、岩崎恵子さんによると石井織物工場さんがうみだす布は、「とにかくピュア」ということ。
布の生地が“ピュア”って、どういうこと?
その秘密を探ろうと今年3月、岩崎さんと一緒に石井織物工場さんを見学させていただけることに。
年季の入った昔ながらの織機がずらりと並ぶ工場で、石井織物工場の三代目であり岩崎さんが“ピュア爺”と尊敬する職人、石井八重蔵さんに生地のおはなしを伺いました。

石井織物工場の「整経機」。紡績糸を通して、縦糸の準備をする機械。「KOJIMA」の文字が目立つ。

三代続く児島地区の「老舗」

民さん(以下/民)
このインタビューでは、
「みんふ」のねまきで使用した
石井織物工場さんの生地や会社の歴史について、
おはなしを伺っていきます。どうぞよろしくお願いします。

石井八重蔵さん(以下/八重蔵)
はい、よろしくお願いします。
私は石井織物工場の三代目で、
創業者は私の祖父の石井喜代太です。
明治32年、1899年の創業ですから今年で122年目。


三代続く老舗なんですね。
ずっと同じ場所で操業されてきたんですか?

八重蔵
そうです。工場は父親の代から少しずつ拡張して
いまの大きさになりました。
初代は帯地や紐を製造していましたが、父の代のころ
学生服や作業洋服の生地製造に転換しました。
ちなみに、私の名刺にある
カタカナの「キ」に○のマークは
初代の名前のキヨタの「キ」からきています。

工場から、完成したギャバジンを運ぶ、石井織物工場 三代目の石井八重蔵さん。織機修理用の工具がズラリ!


八重蔵さんは、いつから
この工場で働いているんですか?

八重蔵
高度経済成長期まっただなかの、
昭和40年代です。
大学を卒業して工場を継いだのが
昭和41年ですから、55年も前の話ですね。


三代目となったとき、工場では
どんな生地を織っていましたか?

八重蔵
「ギャバジン」と、「平織」の2種類がメインです。
それはいまも変わりません。

二代目のころ、終戦後は
医療品向けの平織の生地がよく売れたので
平織主体だったそうですが、
時代の流れとともに学生服の製造が
中心となっていったので
ギャバジンが主体になりました。


なるほど、児島エリアは
学生服メーカーの多さで有名ですもんね。

八重蔵
児島はデニムの街として
最近は知られるようになりましたが、
元々は、国内の主要な学生服生産地として
発展してきた歴史があります。

ここの工場でも、セーラー服や制服、
トレーニングパンツなどに使われる
丈夫なギャバジンを中心に織り、
よく売れていました。

また、学生服の生地製造は
商社と契約していたので、
その生地の材料となる糸は
自分で仕入れるのではなく商社から届いて、
「織れば、飛ぶように売れる」
という時代を経験しました。

工場の壁に貼られていた昭和50年代の児島の地図。工場は「児島田の口」地区の山手にある。

「ギャバジン」と「平織」


先ほどのおはなしにも出た、
「ギャバジン」と「平織」について、
もう少しくわしく伺えますか。

まずは、八重蔵さんが織る
ギャバジンと平織の特徴について
簡単に教えてください。

八重蔵
「ギャバジン」は綾織(あやおり)の一つで、
織り目がつまっていて丈夫な生地です。
横糸よりも縦糸の本数が多いため
生地に厚みが出ます。

「平織(ひらおり)」は、
横糸と縦糸の本数が同じで、パリッとした生地です。
うちで織る平織は、
法被などに用いられることが多いです。

織り上がったギャバジンと平織を前に。八重蔵さんと「みんふ」デザイナーの岩崎さん。


八重蔵さんご自身は、織る技術を
どうやって身につけていったんでしょうか。

八重蔵
ギャバジンは、先代の親や
当時の職人さんから教えてもらいましたが、
平織は独学で覚えました。

自分のモットーは「技は盗むもの」と
「経験は失敗からうまれる」のふたつ。
織り方をていねいに教えてもらった記憶はなく、
親や職人が手を動かすところを
見て、まねて、身につけてきました。
「人は苦労しなければならない」
という想いもありますね。


たくさん苦労を経験なさってきたんですね。

八重蔵
ひとつの生地ができあがるまでにも、
糸が切れたりシャットルが飛んだり
機械そのものの調子が良くなかったりと
いろんな「失敗」に向き合います。

その失敗のたびに、なぜそうなったのか、
どうすれば改善できるのか、
「失敗」から勉強して
次につなげていくしかない。
工場を継いで50年以上たったいまでも、
失敗を経験しながら織り続けています。

織り上がった生地に光をあて、検品する八重蔵さん。「昔ながらのシャットル織機にしか出せない風合いがあるんです」。


八重蔵さんが織る生地で
特にこだわっているところは何でしょうか。

八重蔵
一番のこだわりは
糸にストレスをかけない織り方で
ゆっくりと織り上げることですね。


糸にストレスをかけない!?

八重蔵
はい。ストレスをかけない方法は
いろいろありますが、一つは
糸そのものに糊付けをしないことですね。
そうすると生地の仕上がりが
やわらかく、しなやかになるんです。


そうなんですね。確かに、生地を手にとると
織り目はしっかりとつまっていますが、
手ざわりは、おっしゃるとおり
とてもやわらかい風合いです。
それが“ピュアな布”の秘密の一つなのかも。

検品を終えたばかりのギャバジン。シャットル織機で織られた生地の象徴でもある"耳"が生地の端についている。

八重蔵
糊付けをしないもう一つの理由は
うちの生地のお客さんに
製品染めをする人が多いから。

糸に糊付けをした生地は、染める前に
糊を落とさないといけないんですよね。
そうすると糊落としの手間と工賃が
余分にかかってしまうから、
糊なしで仕上げると喜んでもらえます。


生地を買うお客さまに
喜んでもらえるように、という想いで
糊付けせずに仕上げているんですね。

八重蔵
もう一つは「織機(しょっき)」ですね。
うちの工場で使っているのは
昔ながらの「シャットル織機」です。
工場で織機を実際に動かしているところを
見てもらいながら説明していきましょうか。

石井織物工場には、50年以上稼働するシャットル織機がずらり。現在は八重蔵さん一人で織りを行っている。

作り手による生地解説〈前編〉まとめ

工場を継いで50年以上、という
石井織物工場の三代目、石井八重蔵さんのお話。
〈前編〉では「ギャバジン」と「平織」の
こだわりについてくわしく教えていただきました。

「糸にストレスをかけない織り方」が
“ピュアな布”をつくるうえで
なにより大切と語る八重蔵さんでしたが、
どんな風に織り上げていくのでしょうか?
〈後編〉では、シャットル織機で
織る様子を実際に見せていただきます。

後編につづきます


石井織物工場(岡山県倉敷市)
取材日:2021年3月24日
取材・執筆・撮影:杉谷紗香(piknik/民ノ布編集室)

Instagram:@taminonuno








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