共に食べる。共に語る。
東日本大震災復興ボランティアで「大自然の中に生かされている自分」には気付けたものの自分自身が地元福山で継続してやりたいことを見つけるには時間がかかった。それが決まるまでは何度も東日本へ行こうと、友達づてにボランティアを呼びかけた。
連休初日に自宅(広島県福山市)を自家用車で出発し、友達と運転を交代しながら高速道路を東へと進んだ。サービスエリアで合流してくれた友達もいて、少しずつ輪が広がる事を実感。宮城県仙台市内に入ったのは2日目の朝だった。
始めて参加する友達と慰霊をかねて海岸沿いを進むルートをとり、途中で荒浜地区の慰霊碑に参拝した。それぞれ思いを持って参加してくれているので、一人ひとりと向き合いたいという思いが自分の中に湧いてきたのを思い出す。
この年も畑の再生に全力で取り組む。ひと掘りひと掘り、手に力を入れるとすぐに疲れてしまう。「足もしっかり使うとよく掘れるよ」と仲間のアドバイスをもらい、スピードも上がった。土の中から出てくるのは木の枝、石、瓦、釘など、細心の注意を払いながら、将来子供達が裸足で畑を走っても大丈夫なようにしよう!と気合いが入った。
作業が終わると、晩ご飯。当時は自粛ムードだったが僕たちはあえて中心市街地へ繰り出した。案の定、飲食店の店員さんからは喜んでいただけ、「海岸沿いは津波からの復興に時間がかかりますが、市街地のお店は大丈夫なので活気を取り戻すために頑張っています」というお話をいただいた。
食事会では仙台の美味しいお料理とお酒をいただきながら、とにかくいろんな話をした。家族のこと、友達のこと、仕事のこと。時には店員さんとも仲良くなった。始めて会ったのに思いが繋がるだけでお互いのルーツの話が盛り上がる。ここで今に繋がる「日本人はみんな繋がっている」という感覚が芽生え始め、地元で絆の輪を作ることが東日本の皆さんにいただいた元気の恩返しになるのでは?と思い始めたのだった。
次回の話から、2017年に16年間務めた会社を辞めワイン造りの道に進んでいくストーリーに入っていきます。
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