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10年前
10年前、ここから試行錯誤して今がある。ワイン造りに携わるまでの道のりを数回に分けて書いておきたい思う。
小学生の時、2回転校したことで友達と離れる悔しさから自然と地元というものから避けるようになっていた。友達が出来ても長続きしない。思い出は作らない。そんな、クラスでも影の薄い時期が長かった。
東日本大震災の時、なぜか「何か出来ることはないか?」と思い、支援隊に参加。夜、東京を車で出発。仙台までの高速道路は地震の影響で波打っておりこれから起きることの大変さを感じながら道のりを進んだ。朝、仙台市内の海岸近くに到着したとき、衝撃的な光景が目に飛び込んできた。津波によって何もかもえぐり取られた風景。頭の中が真っ白になった。
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人間は何のために生きてるんだろ。
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ここで自分に出来ることは何だろ?と思ったが、体は自然と動いた。炊き出し、瓦礫の撤去、畑の再生。出来るだけ出会った人と話をした。おじいちゃん、おばあちゃん、同世代、子供達。それぞれがどんな思いで生きているか、聞きたかった。皆さん、ここでは書けない壮絶な体験をされていたのになぜか僕に笑顔で「来てくれて、ありがとう」と言ってくれたのが忘れられない。
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最初の年は、被災から2ヶ月後だったので避難場所での炊き出し活動が主だった。2年目はお宅の片付け、3年目は畑の再生作業。津波によって多くのことを失われた方とお話しする中で、「また、畑をしたいと思えるようになってきた」というご依頼をいただいた。土の中には様々な瓦礫が埋まっていて簡単には進めることができない。1列になって幅50cm深さ30cmずつ掘り、瓦礫を取り除いては埋めることをひたすら繰り返す。半日たってもほとんど進まないことに悩む。「これだけしか出来ていない・・・」
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お昼休み時間に畑の持ち主が来られ震災時の体験談をお話し下さった。本当は思い出したく無いことのはず。僕は子供の頃、つらい思いをしても忘れれば良いと思っていたことを思い出した。
「なかなか作業が進まずすみません」というと、笑顔で「畑をしたいと思う希望を持つことが出来た。ありがとう」と言ってもらえた。現地で知り合ったボランティア仲間からは、明日はまた次を引き継ぐ仲間が来ると励まされた。
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そこで、僕にとっての農業は
「未来への希望」という想いが芽生えた。
あのころ、ぶどう栽培からワイン造りをしていくことになるとは夢にも思わなかった。