2002年11月14日0114

入院病棟のナースと高齢化社会

写真はもう十五年以上前にお散歩していてみつけた廃墟。

★病院で起きていること =1=
  高齢化社会の縮図が大部屋にあり

ナースの働き方にすでに大きな変革が起きているらしいことは書きました。

もうひとつ、以前の入院体験に比較して(出産は若いひとばかりだったのであてはまりませんが)驚いたこと。それは高齢化です。

大病院ではなかったこと、地域密着型の病院だったこと、高齢者向けリハビリ施設を併設していることなど、いろいろな条件はあったと思いますが、それにしてもわたしが入院している間、わたしより若い患者さんは、骨折で入院していた若い男性ひとりだけで、あとはほとんど70代以上の方ばかりでした。(整形外科の同じ階の病棟の、その期間限定のことですが)

その年代になると、入院前から思い通りに身体が動かなかったという方も多いですが、その他にも個性的で元気な方、かくしゃくとしている方、いろいろなタイプはいらっしゃいます。

リハビリがすすむと休憩室でテレビを見る時間ももっていたので、元気な方はだいたいずっと部屋にいることより、気分転換に出ていらっしゃるから、わたしもそういうときはお話をしたりしましたが、お元気な方というのはほんとうに楽しく暮らしていらっしゃる。普通に話しているだけで勉強になってしまうようなご婦人と仲良くなったりもしました。

先にいいますが、このコーナー、すごく長くなります!

正直人工股関節全置換術とは全然関係ない話であるといえばそうなのですが、今の日本の縮図がこの病棟には詰まっているという現実をわたしは認識せざるをえず、このことをみんなと共有して「高齢化社会とはどういう日々なのか」「もしも高齢化社会に終止符を打てるなら何が必要なのか」をご一緒に考えたいのです。

=不意に涙しちゃったAさん=

Aさんはあまりお話が上手ではありません。ぼんやりしていることもあるし、時々アクロバティックな格好で寝てしまっていたり、だけどしゃっきりしているときは、積極的に声をかけてくれたり、少しのやりとりができる方でした。そしてそういうときはいつもにこにこしていました。

Aさんは、ご家族が三日に一度は訪れて、何か気がまぎれる猫の写真集などを置いて行かれました。その猫というのはAさんが以前飼っていた猫のアルバムだったり、カレンダーのように薄手でぱらぱらながめられるようなものだったりいろいろのようでした。時々ナースが
「これはAさんの猫なの?」
と、声をかけていました。

Aさんがわたしにはじめて声をかけてくれたときは、お互いに車いすで向き合う姿勢になったとき「そのスリッパの猫、かわいいわね」って声をかけてくれた時でした。「そう。わたしも黒猫が大好きなのよ。おばさんも黒猫好きってお話されてたわね?」と、わたしが応えてから、Aさんとわたしは向かいあったベッドで特に沢山話さなくても、目が合うとにこにこ挨拶する間柄になっていました。

でもAさんはどちらかというと、一日の三分の二はぼんやりしているほうが多かったかな。

Aさんがどんなお怪我で入院されていたのかわかりませんでしたが、「寝てばかりでは元気が出ないから、頭をしゃっきりさせるためにも車いすに乗りましょうね。そうだ、きょうは面談室でテレビを見ていましょうか」と、ナースに連れ出されて行ったことがありました。

その時間がいつもよりちょっと長いなとわたしも感じていたのですが、夕飯時になりすっかり配膳が済んでもAさんは戻ってきません。もともと車いすを自分で操作して戻ってくることはできないので、Aさんはもどされるのを忘れていたか、「ごはんの支度が済んでから部屋に帰してあげましょう」と判断されたかどちらかで、戻ってこなかったのだとは思います。

そしていただきますのころ、Aさんはお部屋にナースにつれられてお部屋に戻ってきたのですが、文句を言うというのではなく何かわいてくる気持ちを吐露するような発音で言葉を発した後、さめざめと、泣き出してしまいました。

「どうしたの?Aさん、どうしてそんなに泣いてるの?どこか痛いの?」

ナースがびっくりして声をかけましたが、Aさんははっきりと言葉を出せません。でもナースはAさんの背中をなでながら「悲しくなっちゃったの?」って優しく声をかけていました。

わたしはたぶんAさんは早くお部屋に帰ってきたかったんだろうなと思いました。だけど誰にも気づいてもらえずごはんのにおいは漂ってくるし、もしかして自分は忘れられてしまったのかもくらいに思って心細かったんだろうな、と、思いました。

わたしは食後大急ぎでノートの切れ端に猫の絵をいくつか描いて見せてあげました。

「Aさん猫、好きでしょ。元気出してね」

Aさんはなつかしいものを眺めるような顔で紙きれをにぎりしめ、「ありがとう」と、沢山言って喜んでくれました。

そのあとAさんはどうされているでしょうか。わたしは部屋をうつってしまったのですが、結局それきりお会いしていないのですけれど。

この時点でわたしはこんにちのナースのお仕事の多くの部分で、医療のお世話以上に「高齢者をどう看護するのか」という課題と切羽詰まった状態で向き合っていることに気づき始めました。それまでは自分も必死だったし、ほぼベッドにへばりついていてせいぜい車いすでトイレに行ってリハビリ室で歩く程度のことでしたが、自分の視界が二次元から三次元に戻ってきたことで、少し病棟の様子が見えるようになってきました。

=腸に穴があいてしまって入院されたBさん=

Bさんは、しっかりされている方でした。でも退院直前にお話しする機会があり、何故入院したかお聞きして、本当にびっくりしてしまいました。

なんと、腸に穴が開いてしまって中のものが全部おなかの中に回ってしまい、おなかを大きく切り開き、そのあとも中を排出しながらきれいになるまで入院していた、ということでした。

はじめその体調の悪さに気づいたのは、ある習い事の朝だったようで、「なんだかおかしいな。ちょっとおなかが痛いな」という状況だったのだけれど、まあそんな日もあるわよね、という感じに出かけられていたそうです。そして出先から「ちょっと調子が良くないのよ」と、夫さんに電話すると、夫さんは「無理をしなくていいよ。僕がお昼を買って行ってあげるから」といってお寿司の折り詰めを買ってきてくれたそうです。

ところがBさんは、食欲なんかほとんどありません。脂汗が出るような気持でしたが、夫さんが「寿司なら食べれるでしょう。食べてからお休み」と、強くすすめるので我慢しながらいくつか口にしたけれど、もうそこから先はとてもとても受け入れられなくて、全部吐いてしまい、最初は近所の病院に行ったけれど「もしかしてここでは受け入れられない病気かもしれない」と、今度は総合病院に回され、そこは満床で、この病院に運ばれ調べたところ、腸の中のものがおなかに出てしまっているという状態だったそうです。

わたしは、その話を聞いて「実は」と、言いました。「夫がちょうど二年前に胃潰瘍というか十二指腸潰瘍で緊急入院したのですが、入院したそのときはどこに穴があいているのか特定しきることができず、もし腸に穴があいていたら緊急手術となるし、かなり危ないですって言われてたんです。まさにその状況だったんですね。ご無事でよかったですね」

すると、Bさんは「見る?」といっておなかをめくってみせてくださいました。おへそのところからみぞおちまで一直線の切り痕、それと脇にもうひとつ、管を入れて中を出していた痕がありました。

もうそれはそれは痛そうでした。こんな切り痕でよくにこにこして過ごされたなと思ってしまいます。というのも、Bさんは大部屋の入口のベッドにいらしたので、わたしがトイレやリハビリから帰ってくると必ず顔をこちらに向けて「大丈夫よ」というように、にこにこと会釈をしてくださるのです。見ず知らずのわたしに患者同士なのにどうしてこんなに優しく笑顔を向けてくださるのか、胸があつくなるような笑顔なのでした。

そしてBさんの夫さんという人が、もうBさんのことが大好きで必ず毎日、お見舞いにいらっしゃるのです。わたしは言いました。

「だけど仲睦まじくて本当に幸せですね。夫さんも退院でほっとされるでしょう。はりきってお世話したりしないで、甘えてお世話してもらってくださいね」

するとBさんがちょっとだけ顔を曇らせて言いました。

「そうなの。夫は本当によくしてくれるの。だけどちょっとズレてるの。だって具合悪い人にお寿司とか食べさせないでしょう?そういうときはおかゆを作ってくれたり、黙って寝かせてくれたりそういうふうにしてほしいでしょう?夫はそういうことがわからないのよね。だからわたし本当は退院したくないの。退院してからが心配なのよ。」

やっぱり!

実はわたしはベッドが隣だったので、何日か前からBさんの夫さんが「そろそろ退院できると先生も言っているよ」という言葉をかけていたり、ナースも「退院したらこれとこれをしてもいいけど、これは夫さんにしてもらってくださいね」と具体的な話をされているのにBさんが「わたし自身がないわ。まだおトイレも行けないの。お部屋に持ってきてくださらないと。そんなんで退院しても大丈夫なのかしら・・・」

Bさんの年齢からしても介護認定を受ければポータブルトイレや電動ベッドなどを借りるのに介護保険がおります。この病院にいる間にどれだけ在宅介護の手続きができるのかまではわたしにはわかりませんでしたが、こうした退院後の介助や看護についても、病院が抱えている問題のひとつかと思います。

Bさんは「だけどね、わたしは今80歳でこうして大病しながらまた元気になれたでしょう?だから母の教えを守ってこれからも、にこにこ笑って生きていくつもり。あなたもいつもにこにこしていてとっても素敵ね。」

それからBさんがバラ園の近くに住んでいらっしゃることを知り、お互いに元気になったらこの秋は無理でも来春には、バラ園に行こうねと約束しました。たぶんお互いに年賀状のやりとりくらいはできるかなと思います。

=耳が遠いCさん=

Cさんはお顔を知りません。わたしより奥のベッドにいらしたし。Cさんはナースコールができません。カンカンベッドのへりをたたきます。その音がとてもわたしの耳と心に響いてつらかったです。そ

それからCさんは耳が遠いのです。だけどテレビがお好きです。それで音量を最小に絞ってくださるか、イヤホンをつけてくださればいいのだけれど、テレビをつけても音が鳴っているかどうか自分で把握することができず、これには本当に閉口しました。

したくはないけど何度もナースコールをして音を絞ってもらいまいした。たぶんだけど時々ナースはテレビを消してしまっていたようでもありました。というのもCさんはイヤホンを何度もなくしてしまうのです。ご家族に「イヤホンをとらないように」声をかけてもらっていましたが、結局Cさんは個室に移ったか、違うわたしのような気難しい人のいない大部屋に移られたか・・・すぐわたしの部屋からはいなくなってしまいました。

=水をいつも求めるDさん=

わたしが入院した時やはりお顔が見えないところにいらしたDさんは、典型的な認知症の方だったようで、詳しくはわからないけれど徘徊が原因でお怪我をされたようでした。だから落下防止のベルトをつけられていたと思います。

このDさんもナースコールができません。やはりどこかをかんかん叩くか「みず」「〇×(聞き取れず)」「テレビ」などと、声をあげていらっしゃいました。

Dさんはパジャマを全部脱いでしまったり、体重制限をしているにもかかわらず家族の差し入れのお菓子をいっぺんに全部食べてしまったり(差し入れを持ってくる家族もどうなのかとわたしは思いましたが)、そのくせごはんの時には吐き出してしまったり、やっぱりイヤホンをつけずにテレビをつけてしまったり。

ところがこのDさんにはいつもお見舞客が来ているのです。その中でも若い学生と思われるお孫さんが来ると、くすぐったくなるほどおっとりした声で「おばあちゃん、わたし今日は、キリスト教とモーツァルトのことを勉強したのよ」などという高尚なお話を丁寧に語り掛けたりしているのです。それでわたしはおもわず聞き耳をたててしまったのですが「おばあちゃん、モーツァルトを知っている?」と、聞くと、Dさんがなんと、美しい声で歌いだしたのです。

♪ねむれよい子よ 庭や牧場に 森や泉もみんな眠れば

「そうね。おばあちゃん、よく歌ってくれたわよね」

その話のあと最後にDさんが言いました。「キリスト教を勉強するのはいいけど、宗教には気をつけなさいよ」

認知症というのは本当に、大変な病気だなと思います。しっかりしているときには教養ある会話が成立し、穏やかに過ごせるのに、そうでない時間はまるで会話も成立せず、自分でも自覚なくどこかに出かけてしまったりする。

あとで出てくるご婦人が「わたしは認知症の人がわけがわかるときとわからないときと両方の記憶がある人の気持ちを聞いたことがあるけれど、わけがわからなくなってしまうことは、たまらなく怖いことだとその人は言っていたわよ」といっていたのを思い出します。

しかしわけがわかっているときもわかっていないときも、入院してしまえばナースがどちらのDさんとも向き合わなくてはいけないのですから、やはりこれも大変なお仕事であろうと思います。

Dさんは無事退院して行かれました。

=ついにわたしを泣かせたEさん=

Eさんは、一見とても達者です。よく話します。

もうわたしの隣にきた時点でナースはすでにEさんの情報をたくさん知っていて、どこかの県に広大な土地があってそれを処分してしまわなければ遺産問題が起こるから大変だとか、もともとはこの近くにある総合病院で働いているナースだったから医療のことはよく知っているとか、息子や孫がよく面倒を見てくれるとか、ともかく、しっかりはしていました。

しかしそのしっかりもののEさんが、うっかり道端で転んでしまい、恥骨を骨折してしまったのです。

恥骨というのはギブスでとめるわけにはいかず、ただひたすら元の状態にもどるのを、必要なリハビリをしつつ、待っていかなければならないので、それはそれは本当につらい状態なのであろうというのは察せられます。

ところがこのEさんは、一見しっかりしているのはあくまでも一見しっかりしているのであって、実は自分の状況を客観的に理解する力はもう失っている状態だということが、すぐわかるようになるのでした。

最初のおかしな出来事は、Eさんがトイレに行きたいといったところからはじまりました。

Eさんはわたしと同じで尿管が入っていました。これをしていると膀胱から自然と尿が出るので、尿意もありません。ところが問題は大便のほうです。こちらは車いすでトイレに行き、トイレに移り座り、自力で排泄するか、ポータブルトイレでベッドから移り座り、自力で排泄するか、オムツに排泄するかになります。

ところがEさんはまだ車いすに移ったり、ポータブルトイレに移ったりはできません。なのでおむつに排泄するしかないのですが、これがEさんのプライドでどうしてもできなかったのだと思います。わたしも結果的には出なかったのでそれはよくわかります。

Eさんは言いました。
「わたしは50年前は看護婦だったの。だからあんたたちの仕事もよくわかるのよ。わたしはトイレに行けるのにあなたたちはわたしを行かせないようにしてるでしょ。わざと雑に扱って」
ところが、この言葉はわたし以外の誰にも届かなかったようです。ナースがその部屋にいないときに言ったからです。

その直前、Eさんが便意をもよおしたといって、ナースが自力で車いすに移るならどうぞ、と、車いすやポータブルトイレを持ってきてくれたのですが、結局Eさんは起き上がることすらできず、結果的にナースに霜の世話をしてもらい、その際、体位を変えてもらったりしたのだけれど、なんせ骨折しているから痛いわけです。その痛さと、オムツで排泄せざるをえなかった屈辱が、Eさんのマイナスな心に火をつけてしまったのです。

もうその夜はたいへんでした。

一晩中ナースコールをし、トイレとか水とか帰るとか・・・。今すぐ転院するとか。ナースが「今はみんな寝てる時間だからそれではナースステーションでお話ししましょうね」と、一時間連れ出して話を聞いてあげたりしてたけど、戻ってきても、結局また尿管を抜こうとしたり。

しまいにはとなりのベッドのわたしとの間のカーテンをあけて言うのです。「わたしをたすけて。痛いの。」
で。わたしがびっくりしてベッドから起きて(そのときはもう伝い歩きができるところまで回復していました)見てみると、Eさんは浴衣型のパジャマの前をすっかりあけた状態で、テープでとめられたパットの間から伸びた尿管を引っ張りながら、「わたしは看護婦だったからわかるのよ。わたしは帰るの」と、繰り返していました。

わたしはさすがにびっくりしてナースコールをわたしがして、あとはナースにお任せしたのですが、ナースがEさんをなだめたあと、中途半端な感じにカーテンを閉めて行ったので、わたしが
「わたしのお部屋でもあるから、ここ、閉めるね。看護師さんを呼ぶときはここをあけないで、ナースコールしてね。お願いね」
と、言ってカーテンを閉めました。

その夜は結局一晩中そういうことの繰り返しで、カーテンも二回あけられたので、私は結局一睡もできませんでした。

もう朝はナースもわたしもヨレヨレです。一回5時の時点で、わたしは夜間のトイレは要付き添いだったのですが、「看護師さんてほんとに大変ですね」って思わず言ってしまいました。ナースも仕事上多くは愚痴ったりしませんでしたが「さすがにね・・・。あなたにもごめんなさいね」と、言いました。

6時になるとナースが元気に
「はーい。みなさん、おはよう。からだを拭いてさっぱりしましょうね。さっぱりして一日をはじめましょうね」
と、入ってきたので、わたしはなんだか救われもしたし、ナース自身もこの部屋のみんなも確かに気分刷新が必要だよなと思いました。

朝食後。Eさんがわたしが通り過ぎたとき、ベッドから「わたし変だったでしょう」と、声をかけてきたので、わたしが明るく言いました。「うん。変だったよ。わたし心配で一睡もできなかったし何回もあなたの代わりにナースコールしたよ。わたしも患者だから静かに寝たかった。ねえ?看護婦さんだったなら本当はここの看護婦さんたちががんばってくれてるの、わかってるんだよね?わかってるけど痛くてつらくて、八つ当たりしちゃったんだよね?でもね、ここ、大部屋だから。だからみんなで頑張ろう。今日手術でじっと頑張ってる人もいるんだよ。看護婦さんだった人はそういう人を応援しなきゃいけないってわたしは思う。」

ちょっと厳しい言い方なのは自覚あったけど、相手を尊重したいと思ったらごまかして言うのではなく、してほしいことをはっきり伝えたいと思ったのです。

しかしそのあとEさんは、ナースに言っているのをわたしは聞いてしまった。

「わたしが夜中にねぼけていたのに、隣の人ったらわたしがわざと意地悪でカーテンを開けたみたいにいうのよ」

もちろんナースはわたしがどう対応したか知っているのでそんなの真に受けはしないけど、わたしはなんだかもうとても悲しくて、さすがに涙が出てきてしまいました。

そのとき、娘たちがわたしに「ママ、つらいときがあったらこれを読んでね」って手渡してくれた手作りの絵本(?)一コマ漫画集(?)があったのでそれをぱらぱら見ていたら、なんかもう本当にせつなくなってきて、同時に娘たちの優しさがうれしくて、ああこういうときこれを見ながら笑いながら泣いちゃえばすっきりするよなきっと!って思いながら布団をかぶって泣いてたら。

タイミング的に回診に来たナースに見つかっちゃいました。

そこからはもう、師長が来てゆっくり療養できなかったお詫びや、ちょうど退院する人が出たから部屋を移してくれるというお話などがあり、なんだかわたしが思うより大事というか、病院も精一杯の対応をしてくださったのですが、今振り返ると本当に病院も打つ手なしというか、一体こういうときにはどういう風に対応したらいいのか、いや理想としてできることはあるけどそれを実現するには予算やら人員やら確保すべきものがたくさんあって、そのためには、やっぱり病院単体では到底対応できない、医療や院内介護の予算や制度がどうしても必要なのだろうな、と、思いました。

皆さんはどう思いますか。

今病院は「医療」だけの空間ではなくなっています。このことは、病院の中だから複数の人の目に見えているけれど、各家庭に帰ったら、また病院や介護施設にアクセスすることがない高齢者家庭があったら、病院の中だけにとどまらず、日本の、県内の、市内の、いや町内のどこかで、どこででも、起こっていることなのではないでしょうか。

まさに病院は、日本の高齢化社会の縮図だと、思った次第です。

娘たちが書いてくれた素敵な「絵本」は何かの形でご紹介したいと思います。(笑)

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峰里えり
自分の経験をもとに思いのまま書いていきたいと思います。 現在「人工股関節全置換手術を受けました」(無料)と 「ハーフムーン」(詩集・有料・全51編1000円)を書いています。リハビリ中につき体調がすぐれないときは無理しないでいこうと思います。