人の死を悼む難しさ
先に念を押しておくが、これは弔いの文章ではない。
かつて所属していた某テーマパークのバンドの先輩格の方が急逝した。僕より11歳年上で今年59歳。世間的に言っても「若い」死の部類に入る。急性の心筋梗塞だったようだ。
僕が初めてお会いした時から持病持ちだったので、一瞬コロナ感染を疑ったが、心筋梗塞による心臓からの出血が死因だと聞いて奇妙な安堵感と様々な感情が沸き上がった。
氏のTwitterなどのSNSは全くチェックしていなかったので、訃報を聞いて慌ててここしばらくの動向を見たのだが、どうも酒はやめてなかったようだ。
僕はその先輩ミュージシャンに「酒はほどほどにして、もっと自己鍛錬に精進すべきだ」と生意気ながらずいぶん前に進言したことがある。
だが「酒に飲まれ、女房を泣かすのが昭和のバンドマンの本懐」とばかりに一顧だにされなかった。結局のところ「昭和のバンドマン」とやらの実像は悲惨なもので、「破天荒な」素行で生き残っている人は皆無で、現役で今も活躍されている方々は実はずいぶん前から節制をし、健康的な生活を送り、自己鍛錬も貪欲にこなしている。
ある意味まっとうな人だけが生き残った。そういう意味ではあまり面白みのない結末とも言える。
音楽か酒か、という二択は実は単純な二択ではない。妻子がある身ならば、実は音楽を選ぶという事は妻子を取ることでもある。妻が病弱で子供が障害を患っているならなおのことだ。
音楽をなおざりにしている人間がバンドマンを名乗ることなど言語道断である。(ちなみに本来音楽と酒という選択肢は必ずしもポピュラーな選択肢ではない。大抵は音楽か家庭か?である。いわゆるバンドマンは音楽を第一義とするからバンドマンなのだ)
59歳という年齢は所謂バブル期にミュージシャンになった連中が多いので昭和のバンドマンと呼ぶにはやや若い。ただまだ昭和の残り香が業界にはまだ残ってた頃の人とは言え、似非(エセ)昭和のバンドマンといった方が正確かもしれない。
バブル期はまだバンドマンの仕事は結構あり、テレビの歌番組などで需要がまだあったころ。当時は人手不足もあったので、そこそこ吹ければ仕事があった時代だった。
ただバブル期と言えども仕事にそれほどありつけなかったミュージシャンの受け皿になったのが、某テーマパークのバンドである。今でこそ管楽器を志す少年少女にとっての憧れの的だが、要は一線級では戦力になりえない者の受け皿であったのが開園当初のテーマパークのバンドの実情だ。
事実新聞にデカデカと募集広告を載せたにもかかわらず、驚くべきことに誰も応募してこなかったそうだ。もちろん今では考えられないことだが・・・
たとえ「負け組の掃き溜め」であっても、自らの矜持を失わず誇り高い演奏をしている人は勿論いたし、そういう後ろ姿を見せることこそが、バンドマンの誇りではないかと僕は思う。
僕はその先輩ミュージシャンの死に直面して、上っ面の「悪いオヤジ」キャラだけを体現し、地味な自己鍛錬を怠った姿に絶望と怒りと悲しみが沸き上がってきた。
このような気持ちを当然ながらおっぴらにFacebook等のメジャーなSNSに投稿することは出来ない。僕もそっちでは沈黙を貫くつもりだ。
だが何より醜悪なのは、彼の死を悼むと見せかけて、よく読むと「俺凄い」的な自分語りの長文をSNSに書き付けて輩だった。安いナルシズムを恥ずかしげもなくよくもまぁドヤ顔で発信できるものだ。
この事は自らを戒める糧としたい。
人を弔うという事は実は文章で表すことはかなり難しいことなんだという事を肝に銘じたい。
ありきたりの弔いなら「彼は偉大な最後の昭和のバンドマンでした」という事になるだろう。だが、残念ながらこの一文は僕にとって皮肉の入り混じった最悪の侮蔑の言葉となってしまう。
だから僕は彼の死を弔う事が出来ないし、その資格もないのだ。
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