本「ヘレン・ケラーを支えた電話の父・ベル博士」
※表紙の写真はベル博士ではなく、ヘレン・ケラーの先生”アン・サリヴァン”です。
本を手に取った理由
結論としては、電話を作った人なのに、なぜヘレン・ケラーを助ける人物であったか疑問を解き明かしたかったからです。
僕は、コテンラジオという番組で、ベル博士の存在を初めて知りました。
僕がこの回を聞いた時思ったことは、時代が時代なので、障がいに対する偏見が強かったのではないか?ということです。その僕のイメージの源は、第二次世界大戦のナチスによる、障がい者差別です。ベル博士の時代はまだ世界大戦が行われていませんでしたが、今より障がいの研究と理解が浅いので、予想ではありますが、当時障がいを抱える人は攻撃を受けやすい立場にあったと考えます。そのような中でベル博士は、なぜヘレン・ケラーを、そして障がいを抱える人を支援できたのかについて、本を通して学びたいと思いました。
印象に残ったこと
障がいを抱える人を支えることがライフワーク
多くの人は、ヘレン・ケラーのように目が見えなくて耳も聞こえない人に出会っても、人ごととしか思わないか、胸が痛むだけだと思います。中には、障がいを抱えている人を利用してやろうとする人もいるでしょう。しかし、ベル博士は、目も耳も不自由な人でも教育したり、障がいがあっても学べる学校を建設したり建設資金への寄付をしました。なぜなら、ベル博士のお母さんは耳が聞こえない人でしたが、ベル博士とコミュニケーションをとっていました。つまり、障がいがあるないに関わらず、人間のコミュニケーション能力の可能性を信じれることができていたのです。また、コミュニケーションを通して、生きがいを感じてもらおうと行動する姿に惚れました。
金のための興味・関心ではない
現代、新しい商品を開発する場合、どうやって沢山の人が買うような商品を開発するか、購買心理に刺さるネーミングとは…のように、誰かのためというより、いかにして商品を売るかということに重きを置かれているように感じます。ベル博士は、純粋に遠くにいる人同士の心が通じ合うことを願い、電話機の研究と開発に没頭しました。なので、利益を上げるためのスタンスでは決してなく、むしろ、利益を上げることに対して、断固反対の姿勢をとっていたことがかっこいいと感じました。
死ぬ時までずっと、ヘレン・ケラーの可能性を信じた
ベル博士は、相手を信じることが、相手にとってのエネルギーになると考えていました。また、教師時代に4人の障がいを抱えた子にコミュニケーションを教えることができ、それに成功したという体験を通して、自分が叶えたい未来(障がいがあっても会話ができるということ)が近くにいたからこそ、ヘレン・ケラーにできる限りの応援と援助をしたことが、印象に残りました。
自分はどう在りたいか
自分が夢中になれることで、役に立ちたい
やらされ仕事では、クオリティは低くなります。例えば、絵を描くことが好きでもないのに、絵を描く宿題が出れば、完成度の高い絵は出来上がりません。しかし、好きなこと・夢中になれることであれば、雑務でも楽しくなると思います。
僕はベースを弾いて、バンドで音楽を奏でることが好きなので、音楽を通して誰かの役に立ちたいです。読書も好きなので、得た知識を発信することで、読者の方の視野が広がり、それが生きやすい日々を送るきっかけになるような役に立ちたいです。コーヒーを淹れることも好きなので、将来の夢は、喫茶店を開くことが夢でもあります。
大切な人を、信じ続けられる男で在りたい
大切な人を信じ続けられるって、かっこいいと思いました。じゃあ、大切な人を信じてカッコつけたいか?と言われると、決してそうではありません。ブレない男でありたいのです。
逆に気持ちをコロコロ変えた場合、どうなるでしょう。自分が信じるもの・信じたいことは何か迷い、あの時の〜と思っていたからだ…と、何かと後悔しながら生きることになると思います。それは後から振り返った時、幸せな人生だったと言えないでしょう。
自分に嘘をつかずブレずに生き、大切な人を信じて、やりきったと思えるような人生を送りたいと思いました。