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✨移動できたらいいのになぁ✨


西国三十三所の掛軸
朱印帳の使い初め
最初に行ったらしい第25番清水寺
第一番の青岸渡寺
掛軸の表装をした善光寺

 今世紀になってからは、特にに2010年以降共に出掛ける人とて無く、リコール対象欠陥車に食わずエサ代も持たない人間は、借家から出かける事も無いため食べる物か無くても出不精が体型のデブ症という病を患って来ました。かな?
 それでも母が存命の頃は、母に甘えて派遣の仕事に就いたり母に連れられて西国三十三所の観音霊場の巡礼に出掛けたことがありました。母が近所の人と参拝した京都の巡礼寺以外の番号寺と番外寺を回ってきました。
 巡礼に行った証として書いて戴く掛軸の写真。次の証となる御朱印帳の書き下ろしページ(25番清水寺)、第1番青岸渡寺、掛軸の表装を依頼した善光寺の御朱印の写真。善光寺には、何時何処でどんな地震があったか知りませんが、地震があった証として本堂の柱と礎石の形がズレていると言っています。

三十三観音の霊場で特に印象深かったのは大津の石山寺でありました。平成11年では最近の大河ドラマは見ることができませんし、放送されている事も知りませんでしたから当時石山寺と紫式部の関係も知りませんでしたから、観音霊場に来ているのに場違いのところへ来た、と思ったものでした。何で紫式部だと、思いました。で、今大河ドラマのCFを見てもう一度欠陥軽自動車を繰って大津まで行ってみるかなと思いました。今度は紫式部主体で。

地震でズレた善光寺本堂の柱の痕跡。
池に写った鳳凰堂(→上)

 十円硬貨図案の宇治の平等院池に写った鳳凰堂、本物は紅葉で見えません。他、母に連れられて行った兵庫県内では、竹田城、天滝、応挙寺、但東町のチューリップまつり、加東文太郎の故郷の浜坂。

竹田城の遠景と近景(パノラマ)
ぬうう天滝の碑天滝下部
天滝下部

中世の山城や観音霊場や何であんな山奥に築かれたのでありましようか?自分の修行のためならあとの人の修行など考えず楽なところで人を集めたら良いと思います。 琵琶湖周辺のお寺もたけだじょうも 

円山応挙像と大乗寺看板
天滝への途中の滝のひとつと天滝

 京都御所の春秋どっちのご開帳だったか不明ですが、多分許可されているであろうとの思いから撮影した紫宸殿の屋根瓦は全て菊の御紋、天皇家の御家門みたいです。

紫宸殿の屋根瓦

御所の近くの仙洞御所や一寸南にある桂離宮での撮影はできませんでしたので、宮内庁に申し込みをして許可をもらったことも許可証も無くしたことから、思い出ともとも不明となりました。今の今も記憶が定かでないのに同行者も亡くなり確認のしようもなく罪を犯して撮影しなかったがため桂離宮経、行ったであろう記憶しかありません。御所での記憶はある程度写真も有り思い出せすこともてきます。特に凄かったのは生け花ツボに刺してあって美意識はなく流儀も無知ですが華麗というより豪快と思いました。そして紫宸殿へ行き 春なら御苑の駐車場から御所入り口までの所々の桃の花を楽しく見た後紫宸殿の左近の桜をあ観たいものでしたが桜のおもいではありません、御苑で近くの方かと思ったおじさんが大声で桃と桜の区別もできんのかと嘆いておられたことがあすごく記憶に残っています。そのことだけでだけで左近の桜の記憶は皆無です。桜といえば今は、自由に行けなくなりましたが、やはり大阪の造幣局の、八重桜、ではないでしょうか。ここも何度か行ったことがあります。毎年今年の花というのが有るみたいですが、だからどうということもなく「へぇ~」と言って通り過ぎます。

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