天才になりてえ
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どうも。凡才以下です。
天才と呼ばれてみたい。才能あるって言われたい。
一度は考える。いや、週100くらいで考えてる。
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天才ってなんだ?
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フィクションの中の天才たちは、感じたままに、まるで壁なんてないみたいに、すごい作品を平気で創りやがるんだ。それでいて己の才能に気付かず、決まって「普通がよかった」「きみ(努力型凡才)に憧れる」とか言うんだよね。
凡才には、その言葉はあまりにも残酷で眩しすぎる。
生まれながらに翼を持って自由に飛べる天上人から、「羽根なんかいらないから、きみのように地を歩きたい、羨ましいよ」と、掛け値なしの本心で言われちゃうんだぜ。
こちとら、太陽と空にどれだけ憧れて、必死に手を伸ばしたり足元に石を積み上げて、不格好にあがいていると思っているんだ。
天才って、己の感性と衝動に正直すぎるんだよね。
だから、苦しくても辛くても涙が出ても、太陽に向かって手を伸ばす凡才の、真っ直ぐな憧れと想いと貪欲さと正直さが好きだなって思うんだ。
天才にだって地面を歩く能力はあるのに、羽根が空を舞いたがる衝動に身を任せてしまう。「枠」の中を歩きたいのに、そこを出たら楽しいことが解ってしまっているから。
でも同じように、凡才の背中にだって翼はある。飛べるのに、翼が飛び方を憶えていないから、必死にどうにか空を飛ぼうと藻掻く。
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凡才の真っ直ぐすぎる憧れも、天才の自由すぎる眩しさも、オイラは持っていない。一番中途半端なんだよね~タチが悪い。
絵のセンスはないのに描き続ける才能だけがあって、身の程知らずの憧れで天才の真似事なんかして、自由を謳うアウトロー気取りの凡才! なんと滑稽なことか。
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才能っていうのは、「人の心を掴むこと」「人の心に爪痕を残すこと」じゃないかと思います。
絵を描くのが楽しい、苦しい、好きだ、しんどい、誰かのため、自分のため、死にたい、生きたい。
描き手のそういう本心や感情が作品に乗っかって、見た人に乗り移ることができたら、それって才能なんだと思う。
本来共有できない感情や心を共有・伝達できたってことだから。
オイラは何を絵に込めているのか、全然わからない。noteといっしょで、思考せずに描くから、手に持った鉛筆や筆が描き出した無意識を読み解くことから、空を飛ぶリハビリが始まる。
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最近はやっと、30センチくらい飛べるようになってきたような気がするな。そもそも、まだ鳥ですらなくて、ようやく卵の殻を破って出てきた段階かも。
そう思うと、空はとんでもなく遠くて果てしない。
それでも絶望なんて微塵もないほどに、憧れる空は青くて澄んでて綺麗なんだよなあ。
無意識に、あるいは意識して、
あなたは指先から絵に何を乗せますか?
よい夢を。