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素子がそこにいる、という感覚〜映画”イノセンス”を観て〜

 つい先日、声優である田中敦子さんの訃報を目にした。61歳という年齢での逝去に驚きを隠せなかったのはもちろんだが、最初に頭に浮かんだのは「ゴーストを失ってしまったな」という思いであった。

 ここでいう「ゴースト」とは、田中敦子さん演じる草薙素子が主人公のアニメおよび映画作品『攻殻機動隊』シリーズに登場する概念のことである。未視聴の方にもわかるよう平たく言えば、人間が持つ自意識、人格、魂といったものを指している。
 本作では、テクノロジーの進歩によって、人間が身体の一部、または脳以外のすべてを人工的な機械に置き換えることが可能となっている。その置換が進むほどに、自身のゴーストが「その決断は本当にお前のものか」などと自らに問いかける描写がなされていたりもする。また、「電脳化」により、脳を直接インターネットに接続し、必要な情報をネット上で探したり、並列思考が可能になるなど、個人の身体や能力がかなり外部に拡張されている。完全に人工的に作られたアンドロイドにもゴーストのようなものが宿る事件が描かれることもあり、ゴーストという概念はこのような世界における「アイデンティティ」という言葉に置き換えられるのではないかと思う。

 そのアイデンティティがどこまでアイデンティティなのか(脳だけの体でもそれは人間だと言えるか、見た目や挙動が人間とまったく同じであっても、完全に人工的に生み出されたアンドロイドにアイデンティティはあるのか、など)という問いが、特に徹底して描かれているのが映画の2部作であると私は解釈しているのだが、ひとりの人間のアイデンティティを考えるとき、声というのは非常に大きな割合を占めるのではないかと思う。ここでようやく本題。前置きが長くなりました。

 (以下ネタバレになるので気にする方はここで本稿を読むのをやめていただいて構わないのだが)映画1作目の最後で草薙素子は、その肉体を捨てて電脳の世界へと旅立ってしまう(ゴーストがデータ化されてネットの世界に半永久的に保存される、的な)。2作目”イノセンス”はその後のつづきの物語となっているのでその他の登場人物は続投しているのだが、前作の主人公不在のまま物語が進み、途中あれ、もしかして?というような匂わせをいくつか挟みながらほぼラストパートのハイライトのいっちばん盛り上がっていっちばんいいシーンになって、ようやっと、素子が姿を現すのである。声だけ。 

 というのも、ネット上に存在する素子が、量産型の全部おんなじ顔と見た目をした機械人形とバトっているピンチの仲間を助けるために、そこら辺にあった同じ機械人形にネット経由で乗り移って一緒にバトってくれるのである。なので見た目は汎用機械人形なのだが、声だけ我々の知っているあの声なのである。

 本作を観た方であれば、あのシーンで強く感じたことであろう。「少佐、待ってました!!!」と。あのシーン、カッコ良すぎて泣いたよね。ぶっちゃけ。

 素子が乗り移った人形が登場してから喋り出すまでには若干の時間があるが、声を聞くまでは確信には至らない。逆に、声を聞けばどんな見た目であろうと、それが彼女であると強く認識するのだ。声だけで、素子がそこにいる、と。なので、我々は素子のアイデンティティ=ゴーストの一部を永遠に失ったといっても過言ではないだろう。

 しかしながら、昨今のAI事情などを鑑みるに人の声というのもそのうち、簡単に完璧に合成できそうな雰囲気はあるし、そういうことを考えれば2026年に予定されている新作は映画版と世界観が近そうだし、田中敦子さんの声を学習させたAIで声をあてるとかしたらむっちゃ近未来感あるよなあ、と思いつつまあ諸々の事情で無理だろうとも思うし、(坂本真綾さんという前例はあるが)どなたが草薙素子を演じられるにしろそれを現実として受け止めて楽しむだけだしとも思うし、でもやっぱりあの声の素子がもういないと思うと寂しくなるよね。

 ということで、私の中でいかに田中敦子さんが草薙素子を草薙素子たらしめていたかが伝われば幸いである。かしこ。

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