解剖学教室での出来事③
解剖学教室の大学院では、人体解剖はもちろんのこと、骨を再生する研究を4年間並行して行っていた。
具体的には、痩せたアゴの骨をいかに増やしてインプラントができない人を可能にするかという研究であった。そして、その実験の為には犬を用いた動物実験を行っていた。
解剖学の大学院生の1日
大学院時代の4年間の1日は以下のようなものであった。
9時に大学に行き、午前は実験で得た標本作製、暗室にこもり写真撮影。
昼休みは、実験で使っている犬を大学の屋上に連れ出し散歩。
午後は学生の人体解剖実習。
夕方から22時くらいまで動物実験。
なかなか歯医者とは縁遠い日々を4年間を過ごしていた。
動物実験とは・・・
一般的に動物実験というと、マウスなどの小動物を想像するが、自分の実験では中動物である犬を使わせてもらっていた。マウスの実験は細胞などを扱うミクロな実験には有効であるが、自分はすぐに人に応用する為の実験で、ハイドロキシアパタイトという人工骨の実験であった為、人間に近い中動物である犬で実験させていただいていた。
人体解剖も動物実験も医療の発展には重要であることは否めない。しかし、動物実験は一つの命を人間の為に使い、実験が終われば人間がその命を絶やす行為であることに間違いはない。
包み隠さず言うと、実験が終わると、麻酔薬にて自分で犬を絶命させていた。この作業は、精神的にとてつもない苦痛を伴うが、当時は割りきってやっていた。
動物実験の是非
動物実験の是非を伴う議論には終わりがない。自分も動物を愛する者として、できればしたくないというのは当然であるが、当時は医学の進歩のためには必要であると言い聞かせてやっていた。今もその考えに変わりはない。
近年、動物実験をなくして、コンピューターのみでシミレーションを行うなど動物実験をなくす動きが出ている。
しかし、自分はコンピューターシミレーションに限界があり、生体の反応はコンピューターの予測では追いつかないと思う。
今後我々が動物実験を継続するために、最低限の実験を行うことが不可欠であり、動物に極力苦痛を与えないというのが最大の目標であると思う。
自分がこれからできること
動物実験で得たデータは嘘をつかない。コンピューターでは得られないデータである。動物実験のデータは真実を語る。大学院の4年でこのことを痛感した。他人の論文のデータや情報よりも、自分で行った動物実験で得たデータは絶対的である。自分の師匠からの教えでもあるが、確固たるデータを持っていると他人からのくだらない情報に左右されず、精神的にもとても楽である。
動物実験から得たデータは何事にも代えがたく、それを患者さんにきちんと還元することが自分の使命であり、今後も実験動物への感謝を忘れないようにしたい。