幸運はなにに左右されるか②
買ったばかりの包丁の切っ先がわたしの腿を削り、
ついでにコンクリートがスマホの側面を削った日の続き。
この日のわたしが「ついてる」か「ついてないか」はどう決まるのか。
結論から言えば、それはわたしによって決まるとわたしは信じている。
たとえば神様みたいな存在がいたとして、いたとしたらこんなくだらないことに構うだろうか、いや絶対構わない。
つまり、無数にいるうちの人間ただひとりを「ちょっとアンラッキーな気分にさせてやろう」なんてみみっちさの極みみたいなことはぜったいしないってことだ。
だから起こる全ては偶然で、そこに意図が含まれてることはない。
対人の出来事ならまだしも、わたしの場合は自分で新調して自分で置いた包丁で自分が傷つき、
自分のスマホを自分が滑らせてシーサイドさせているわけだから、純然たる意図のなさ。
まあ偶然というのはちょっとひっかかる、というのもよく分かる。
だって包丁の切っ先に脚を当てればそりゃ切れるだろうし、叩きつけられればスマホも割れるだろう。
そういう意味では一つ一つ組み立てた必然なのかもしれない。
偶然と必然の定義と可能性について書きたいわけではないし、これはただの日常日記なので、とにかくわたしはたまたま2連続でこういうことがあった、ということが言いたい。
そう、これはただの出来事で、ついてるもついてないもないんだと思っている。
つまり、もしスマホを叩きつけて割ることに最高のHappyを感じる人がいたら(もし、いるとしたら)、この出来事は「ついてる」わけ。
もちろんわたしはそんな喜びは持ち合わせていないが、スマホが落ちてもそこまでショックを受けなかった。
ちょうど、分割支払いの本体代金が終わる2年の期限が目前だったから。
SiMさえ入れ替えれば良いので機種は替えようかなんてぼんやり考えていた。
包丁にしたって、まあそりゃちょっとは痛いし、傷が出来たのは嬉しくはないけど、血はいつか止まるし傷もいつか治る(そして夜も明ける)。
わたしはこの出来事たちを別に「不幸せ」なことだとは思わなかったということだ。
幸運はなにに左右されるか。
わたしは自分だと思う。
別にわたしは意識高い系就活生でも人外のなにかを信じるおまじない信者でもない。
だけど、わたしが幸運かどうかくらいわたしはわたしが決めたい。
だからこれは別に不運じゃない。
そういうこと。
②なんて引っ張った割には特に深イイものでもなかったけど、また手が空いた時に日記を書こう。