ある人の才能が人を救う。Netflix映画『マ・レイニーのブラックボトム』
映画を見て救われることがある。
私は、『マ・レイニーのブラックボトム』を鑑賞して心が救われた。
映画のラストシーンに希望を感じたからだ。
などと言ったら、「この映画のどこを見ていたのか!」と怒られるかもしれない。
なぜなら、映画のラストは、悲劇中の悲劇で終わるからだ。
Netflix映画『マ・レイニーのブラックボトム』は、今から100年ほど前の1927年のアメリカ、シカゴが舞台。
ブルースの母と呼ばれた実在の歌手マ・レイニーが、白人のレコード会社でアルバムをレコーディングする1日を描いていく。
マは、現在だったらミリオンヒットを飛ばすような実力派歌手なのに、レコード会社の彼女に対する扱いはひどいものだ。
当時のアメリカでは、黒人差別は当たり前のように横行していた。
リンカーンが奴隷解放宣言に署名したのが1863年のこと。
公民権運動を進めたキング牧師が暗殺されたのは1968年。
昨年2020年のブラック・ライヴズ・マターなど、時代ごとに少しずつ変化しているとはいえ、アメリカで現在まで続いている黒人差別問題を本作では描いている。
1927年に、もう奴隷ではないはずの黒人たちがどんな扱いを受けていたのか、映像化して見せてくれる作品だ。
アーティストであるマ・レイニーに対する失礼な扱いもそうだが、マのバックバンドのメンバーに対する扱いもヒドイ。
特にチャドウィック・ボーズマンが演じたレヴィは、コルベット吹きとしても作曲家としても才能ある若者だが、その才能が花開くことはないのだ。
彼の音楽の才能が人生に夢と希望を与えながらも、レヴィ自身の過酷な生い立ちが彼を追い詰める。
才能があっても黒人だといことが、夢の実現を妨げる。
だったら、夢など見ないほうがいいのだろうか?
溢れてしまう才能を押し隠しながら生きるしかないのか?
レヴィの人生は、悲劇だ。
彼のような才能ある人物が、搾取される姿は見ていて苦しい。
けれども、これは100年前のはなしだ。
現在の状況は少しは改善されているはずなんだ。
2021年だったら、レヴィはYouTuberになって有名人になっていることだろう。その才能をリスペクトする人々に囲まれながら。
そう思ったら少し救われた。希望を感じた。
才能は人を救うと信じていたい。
レヴィを演じ本作が遺作となったチャドウィック・ボーズマン。
マ・レイニーをパワフルに演じたヴィオラ・ディヴィス。
そして、何よりもこの映画の原作となる戯曲を執筆した劇作家のオーガスト・ウィルソンの才能にふれ、圧倒された。
真の才能を目撃してしまった。
人は真実の才能を目撃した時に、心が動かされ、救われるものなんだと改めて思った。
映画を見て救われるということは、ある人の才能に救われるということなのだ。