【随想】庵野監督について~文章を書くこと

アマプラで見られるようになっていたので、シン・ウルトラマンを見た。

庵野秀明監督には申し訳ないけれど久しぶりに退屈な映画だった。内容は既に半分くらい頭から飛んでいる。
でも映画を見て思ったのは、庵野監督はきっとこれがやりたかったのだろう。やってて楽しかったんだろうなというのは伝わった。

監督のウルトラマン好きは既によく知られたこと。そして、庵野監督がウルトラマンを作ればこうなることは今までの作品を見ていれば自ずと分かったことじゃなかっただろうか。
要するに、エヴァにしてもゴジラにしてもウルトラマンにしても、庵野監督の「これがやりたかった」は、それに関心のない多くの人には全く刺さらないものなのだと思う。これはエヴァに「乗れなかった」自分が総じて感じている感想でもある。
それに興味のない大多数には刺さらない「これがやりたい」を実現する。これを言い換えれば「作家性」である。庵野監督は良くも悪くも作家性の塊のような監督だ。

それでもエヴァやシン・ゴジラがあれだけのヒットに繋がったのは、庵野監督の関心が多くの観衆と偶然シンクロしたのか、それとも多くの人が無意識的にも感じていたのを敏感に庵野監督が感じ取ったのか。ただ、自分にはどちらでもよいことである。
それで「これがやりたい」に振り切って作ったのがシン・ウルトラマンだったのだろうと思う。好きな人は好きなんだろう。自分の感想はそれ以上のものがない。
でも、「これがやりたい」をやって、それが人々に受け入れられた作家は幸運だ。多くの作家はそれが叶わなくて苦悩する。

なんでこんなことを書いているのかというと、フォローしている人のある「すずめの戸締まり」の感想を見て、少なからず心を動かされて、自分も何か言葉を綴りたくなってしまったのだ。

雰囲気は読んで感じてほしいと思う。シンプルながら哀愁のある良い文章です。
自分にはこんな文章は書けないな。人生経験の差だろうか。温室育ちの自分にはもう少し時間がかかりそうだ。

最近、文章を書くことに若干の行き詰まりを感じる。毎回見切り発車なせいもあるだろうが、ここを乗り越えないとちゃんとした作品は書けない気がする。
職業柄、文章を書くことはどうしても避けられないのでどうにか乗り越えたいところではある。

自分の思いを言葉で表すというのは難しいことだ。仮に言葉で表したとしてもちゃんと伝わるかは分からない。
ただ、偶然にもそこから何かを受け取ってしまうこともある。自分が先の文章に心揺さぶられたのもそういうものかもしれない。

言葉で発することは瓶に手紙を入れて海に流すようなものだと誰かが言っていた。それは偶然性で成り立っていて、それが誰にどういう形で届くかは自分にも分からない。
自分も細々と文章を書いているけれど、それが誰かの心に届いたらいいと思っている。偶然でも、自分の意図した形でなくても、何か人の心を揺さぶるものが書けたらと思う。
それは、自分もそうやって受け取って来たからだ。

読みたい本も沢山ある。責任を負っている仕事もある。ぼぅっとしていれば人生はあっという間に過ぎてしまう。
こういう考え方はよくないと分かっているが、人生を無駄に使いたくないという思いが強くある。
けれどそんなことは土台無理なことなのだ。だって我々は何が無駄で何が有益なのかさえ分からないのだから。
我々にできるのは瓶に手紙を入れて流し続けることだけだ。誰かに拾われることを期待しながら。

最近ずっと福山雅治の「道標」が頭の中で流れている。
そんな時期なのかもしれない。

「すずめの戸締まり」は今日観に行くつもり。心動かされるものがあったらまた何か書くかもしれない。


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