おみくじ秘話
皆さん、神社でひかれるおみくじは何処で作ってるかご存じですか❓
実は日本のおみくじの6~7割は山口県周南市鹿野にある「女子道社」で作ってるんです‼️どうして鹿野でおみくじを作るようになったのか・・・それは二所山田神社の3代前の宮司、宮本重胤さんから始まります。
明治時代、女性が神職として奉仕することは法律で禁じられていました。重胤さんは3歳で父を亡くし、15歳で宮司に就任するまで、母親の手で育てられましたが、当時は神職の妻といえども御神燈ひとつとっても触ることは許されず、神社の維持に苦労する様子を間近で見ていました。そういう背景もあって、「婦人を神職として任用せよ」と明治、大正、昭和の三代にわたって主張し続けました。
神様は・・・・私に
「神様の御道を説いて、婦人を導いてやれ、助けてやれ、救ってやれ!!」
と、こう尊い、重い使命を御授け下さって、婦人道徳の紊乱其極に達した時を選んで、此豊葦原の中津国に生れしめられたものだと、確く確く信じて居るのであります
(略)
私は此重い神様の使命のある事を自覚した時・・・指かなふれば十年の前、満天晴朗拭ふが如き秋の朝・・・直ちに門の小川に禊して、産土神社の広前にぬかづき、堅く、堅く、契ひ奉った
「使命を全ふ致します」
と神の使命に従って「婦人神職任用論」を始め女性の権利拡張、地位向上のための運動を始めました。
おみくじはこの運動のための資金作りのために作られたのです。
現宮司に重胤さんのことを伺うと、とてもバイタイリティーに溢れた方だったと容易に想像できました。
そのエピソードの一つとして、おみくじの自販機を作ったことです。なんと日本で一番最初の自販機は重胤さんが制作&販売したおみくじの自販機なんですよ!これまで、おみくじはジャラジャラと棒の沢山入った箱を振って、出た棒の数のおみくじを巫女や神職に取ってもらわないといけなかったので、人が常駐しないと引けませんでした。それが、自販機を作ったおかげで無人でもおみくじが頒布できるようになったのです。
他に、「神前結婚のすすめ」という本を出版して当時10万部超えの大ベストセラーになり、神社での神前結婚式を全国に広めたり、鹿野にわさびの加工工場を作ったり、「とにかくお金があれば、女性が勉強できる!」と精力的に活動されました。
明治時代の山口県にこんなに女性のために尽くした神職さんがいらっしゃったなんて全然知らなかったので、とても感激しました。
重胤さんが啓蒙のために発行した「女子道」という機関紙があるのですが、ぜひとも読破したいと思います。
それにしてもこんなに神社界や鹿野の町の発展に奔走した方なのに、この方の伝記がひとつもないのは寂しいことです。。。
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