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ストックホルム症候群と指導者

先日からSNSにて高校野球の監督さんの記事が出て、大きな話題になっている。

個人的には基本的にサッカーの世界にいる時間が長いので、野球の育成についての現状や環境などは知らないが、同じ指導者(もはや指導者と呼びたくもないし同じ括りにされたくはないが)として無視できない話だった。そしてサッカーの指導者としてもあのレベルでは無いにしても、精神的にも追い込んでいる指導者や大人たちの存在(一応言及するがこの大人たちには保護者も含まれるケースがある)がいることは知っているし、見てきた方だ。

そんな中ふと目にしたのは、[選手が正しいと思っている]とという見方や[厳しいのは愛情の裏返し]といった言葉だ。このタイミングでストックホルム症候群という言葉を思い出した。今一度ここに自らの想いをメモとして残しておくと共に、このストレス障害がスポーツの現場に未だに蔓延っていることをお伝えしたい。


いつかこの経験が活きる


まずはストックホルム症候群について以下参照となる。

まあ簡単にいうと理不尽な環境を与えられた中で、ふと優しさをみせるなどした時に「この人良い人かも〜!」と思う現象である。

起源となった強盗事件の話を見ると本当にそんなことが怒るのか?と疑問に思うが、これは恋愛でもよくある話ではないか?(恋愛を多くしてきた方では無いことは伝えておく)

DVが日常となっている状況下で、ふと甘い言葉を掛けるなどすると、その女性は男から抜け出せなくなるなどはワイドショーでも一度は似たエピソードとして聞いたことがある。


そしてこれはスポーツの世界でも蔓延っている。

負けた試合後に理不尽な罰走を与えられるも、お前たちのためだなどと言って正当化し、次の試合で勝利でもしてみれば正しいだろうなんて話で、選手も正しいと思い込み負の連鎖が始まる。

この連鎖はそれによって育てられた選手たちが大人になった後の子育てや指導者の活動としても同様にする場合が多く、断ち切ることは容易ではない。


「大人になった時にコーチの言っていたことが分かる。」
「厳しいのはお前たちのことが好きだからだ。」
「辛い、理不尽な経験を乗り越えて人は強くなるんだ。」


身近にこんな事を言う大人や上司、指導者などいませんか?


スポーツの価値と理不尽


「理不尽な社会だからこそ、理不尽な経験は無駄にはならない。」

僕も実際に言われたことがある言葉だ。確かにこの世界は理不尽な世界だと思う。

ある日突然に新型コロナウイルスによって当たり前だった日常が奪われた。スポーツも飲食もその他も今まで通りではいられない。

自分よりも若い人が無駄な事故や事件に巻き込まれて命を落としている。いつ何が起こっても不思議ではない。


ではスポーツをしている中で、その理不尽を与える必要は本当にあるのだろうか?

スポーツの価値とはなんでしょうか?

スポーツとは、一定のルールに則って勝敗を競ったり、
楽しみを求めたりする身体活動などのことである。

語源
「sports スポーツ」の語源はラテン語の「deportareデポルターレ」にさかのぼるとされ、「ある物を別の場所に運び去る」が転じて「憂いを持ち去る」という意味、あるいはportare「荷を担う」の否定形「荷を担わない、働かない」という語感の語である。これが古フランス語の「desporter」「(仕事や義務でない)気晴らしをする、楽しむ」となり、英語の「sport」になったと考えられている。


Wikipediaにも載っている内容だが、これのどこに理不尽さが必要なのだろう?

スポーツから喜びや楽しさを取り除いた先に何があるのか?

それはスポーツと呼べる形であるのか?


サッカーだ野球だバスケだ。男子だ女子だ。個人競技だ団体競技だ。

指導者ライセンスのいるいらないとかそんな物の前に、今一度立ち返って考えるべきだ。


「遊びでやるなら、もうやんなよ。」「遊びじゃ無いからな。」

どんな優れた指導者でも一度は言ってしまったことがある言葉では無いだろうか?言いたい意図は分かる。意味も分かる。それでも絶対に言ってはいけない言葉の一つだろう。

それを言われた選手(子ども)はどう思うんだろう。


僕は理不尽が大嫌いだ。

大人になった今も大嫌いだ。

そしてそれを強いようとする大人も指導者も大嫌いだ。

少しでも良くしていきたい。

まずは、今日から、目の前の選手たちから。

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峯上 裕樹
これからも自分以外の【誰か】や【何か】のために、少しでもその方々にとって有意義なものを作っていきたいと思います。楽しみましょう!