好きnote 40 「石川浩司さん」
好きになってしまった。
しかも、まだそんなに石川さんの歌を知らないのに大好きになってしまった。こんなに好きになるとは思わなかった。
始まりは10月1日のよしこストンペアの雲州堂のライブだった。
友人が企画したライブイベントのO.Aをさせていただいた時に小川賀子さんと知り合った。
賀子さんの「よろこびも悲しみも」という歌が本当によくて、すごく印象的だった。10月1日のレコ発で石川浩司さんとみちしたかつみさんをゲストに迎えてライブするという連絡を受けて、軽い気持ちで配信ライブを観たらたまげた。すごくよかった。
11月26日に東京吉祥寺のMANDA-LA2で同じメンバーでライブをするということでワクワクして配信ライブを購入した。
前回の大阪雲州堂はよしこストンペアの馴染みのお店ということもあり、よしこストンペアがすごくのびのびしていたが、今回は石川浩司さんの馴染みのお店。もっというと石川浩司さんが在籍していた「たま」というバンドの縁深いお店だからか、よしこストンペアはだいぶ緊張してる感じだった。おふたりが好きな「たま」の聖地で、石川浩司さんと一緒にライブするという良い緊張感だと思う。その分、石川浩司さんはかなりのびのびしているように見えた。
前回の配信はよしこストンペアを中心に何度も見返してたのだけど、今回は石川浩司さんを中心に何度も見返した。
「マトリーショカ」「メメントの森」「ピンクの象」「オンリー・ユー」が、すごく響いた。
「メメントの森」「ピンクの象」「オンリー・ユー」は、身近なミュージシャン仲間の死を悼んでいることがしみじみ伝わる。
「ZAN」という残尿の歌も面白かった。面白かったけど、私も年齢的に笑ってばかりいられない歌でもあった。人によってはすごく深刻になっちゃう題材だけどユーモアを交えて笑いながら受け入れてる感じがよかった。
石川浩司さんは、そんな風に自分の恥ずかしいところも、ユーモアを交えて笑いながら受け入れる人なのかも知れない。
その感じは「たま」という船に乗っていたという漫画を読むとよくわかる。
原作はたま解散後に、表舞台に出ると思っていなかった自分がたまというバンドを組んで表舞台に立った流れが面白かったから記録として書いて出版したという石川さんの本。その本は絶版してるけど、たまファンの漫画家さんがその本を原作に漫画を描きたいと申し出があり、今年の夏にその漫画が出版されたとライブMCで聞いて地元の書店で双葉社の「たま」という船に乗っていたの取り寄せをお願いした。
すごく印象的なページがある。
この感じは石川さんの「マトリーショカ」という歌にもよく現れていた。
♪どこまで剥いても僕だらけ
♪好きでも嫌いでも僕しかない
♪自分は自分にしかなれないよ
しょうがないことなのさ
だから自分の中で1番いい形の自分になるしかない!
すごくわかるし、この歌詞を聴いてすごく嬉しくなった。この歌詞は最初から開き直れてた訳じゃないから書けたんだと思う。
私もやっと最近、本当の意味で自分を受け入れられてきたから素直にいい歌だと感じられたのかもしれない。
いつからか、気づくと「こんな私じゃダメだ」という謎の意識が根付いていた。特に10代〜20代はひどかった。小学生の頃は肥満児で、小6の時には「クラスの嫌いな女子 3位」にデブでブスだからという理由でランク付けされたのをずっと引きずっていた。大多数の男子は私のことが嫌いなんだ!!というショックから女性として見られるのが怖くなった。中学に進学して痩せても、その意識は変わらず、同級生のお姉みたいな男子に「吉田わね、顔は綺麗なのよ。人気者の○○さんと顔はあんまり変わらないの。だけど、○○さんとアンタの違いわね、○○さんの目は輝いてるんだけど、吉田の目は曇ってるのよ!」と言われて余計にズドーンとなった。
ちなみに当時、私が好きだった男子も○○さんが好きで、何故か○○さんから告白の返事の手紙をその好きだった男子に渡してくれと可愛くお願いされて渡した自分に「私は何をしてるんだ!?」となったりしてた。
痩せても心は肥満児時代の私のままだった。大人になっても「みんな私のこと嫌いなんだ!」というショックと悲しみから拗ねて、拗らせた私がずっと居た。「みんなから嫌われる私がダメなんだ。ダメじゃない自分になりたい!」という気持ちと、「私のどこが悪いねん! お前らが跪け!」みたいな私が同時に居た気がする。そのままの私や、私の素直な気持ちは恥ずかしい! 隠したい! と思うようになってた。
人から見て素敵な自分になりたいし、うまく立ち回れる自分になりたいけどなれない。こんな自分じゃダメなのに!! そうなればなるほど悪循環に陥って、どんどん自分が嫌いになる。どんどん自分を追い詰めて自分を無力にして虚無感を募らせていた。キラキラして、可愛くて、チヤホヤされるような女の子たちが羨ましかったし、好きな人に躊躇なく好きと言える女の子が眩しかった。「私にはできない…。好きな人にデブでブスだから嫌いと言われたら立ち直れない…」と思い込んでいた。こうなってくると実際の見た目じゃなくて、心がデブでブスに支配されているのだ。それほどショックだったんだろうし悲しかったんだろうけど、人にはそれはわからない。自分が悲しかったんだという気持ちを認めて受け止められるまで悪循環を繰り返すだけだった。
ただ今年、自分の言葉で、自分の歌をうたえるようになってから急激に変化してきた気がする。その歌を歌えるまでも自分の中では大きな葛藤があったし、歌が完成するまで怖くてたくさん泣いた。歌を完成させる為にギターの先生に相談した時に「峰子ちゃん自身が認めるだけでいいだよ。出会ってしまったことや、生まれてきたものをどうすることもできないのだから、ただ認めるだけなんだよ」と言われ、泣きながらも、ようやく歌えるようになった。そして今では顔を上げて、堂々と笑顔で歌えるようになった。
私は石川さんみたいに愛とユーモアを持って表現できるようになりたい。
賀子ちゃんも、石川さんの歌に感動して自分を出して歌おうと思えたと言っていた。
配信ライブで石川さんの大きな叫び声で女子の心が開く叫びセラピーの話が出てたけど、何かわかる。そして石川さん自身も表現の中で、こんな部分を意識してるのではないだろうか。
今のところ、よしこストンペアと一緒に演奏したり、歌ったりしてる石川浩司さんしか知らないから好きと言っていいのかわからない。だけど、歌やMCの受け答えを観て聴いて感じて、人間としてすごく好きだなぁって思えた。
あと、「自分は女性として欠落してる! 結婚して家庭を持ったり、主婦としての務めを果たせると思えない!」と思い込んでた私はこのページを見て何か気が抜けた。
2人で一緒に遊ぶために結ばれた!!
すごい!!!
めちゃくちゃ楽しそう!!
そんな結婚ならしてみたい!!!
学校やクラスに馴染めない。
ちゃんとした社会人になれない。
恋愛でうまくいったことがない。
ちゃんと家庭が持てる気がしない。
ちゃんとできない。
「吉田さんは自分の好きなことしかできないもんね」
「吉田はピクニックに来てるのか?」
そんな風に言われる、できない自分を気にしてばかりいたけど、そんな自分を活かしたり、そんな自分だからこそ好きだと言ってくれる人を大切に、今まで恥ずかしいと思っていたところこそ出して、一生遊んで生きていっていいんだな!って思えた。目から鱗が落ちた。何かいろいろ囚われすぎてたんだなぁ…。
そう思えた石川浩司さんの歌や存在が好き。
最後に、リアルタイムで配信ライブを視聴してた時、イヤフォンをつけて仕事に行く前に家の周りを落ち葉の掃き掃除をしてたんだけど、石川さんの叫び声に「え!? 何が起きたん??」と度肝抜かれ、外でひとりでビクーッ!!ってなりました。イヤフォン注意。
でも、確かに叫びセラピーだったかもしれん。
↑「たま」という船に乗っていた
気になる方は、こちらの出版社から発売されていますのでご確認ください。