二泊三日のインナージャーニー
本当だったら1月27日から29日まで沖縄の南城市に旅するはずだった。
12月初旬にホテルと航空券がセットになった早割チケットを購入していた。どんとさんの命日に合わせて、どんどさんが晩年に生きた沖縄でこの時期に咲く緋寒桜を見ながら、どんとさんを想って歌が作れたら。そう思って。
だけど旅立つ前にニュースが騒がしくなってきた。どうなるかなぁ…と思いつつ、たまたま訪れた神戸の本住吉神社で沖縄に行けるよう絵馬に願いを書いて祈願した。
絵馬を書いて参拝したその直後、航空会社から私が乗る便の飛行機が運休になったというメールが届いた。そして続け様に会社から新年会中止とPCR検査で陽性反応が出た職員がいるという連絡が届いた。そんな連絡が参拝後から1時間もたたずに届いた。
住吉大明神は航海の神様である。その神様に絵馬を書いた上で参拝してすぐにこれって…何という分かりやすさなんだ。これは今は行かない方が良いという住吉大明神からのお答えに違いないと思って旅行をキャンセルした。
有給も使っての二泊三日の旅だったので特に予定のない三連休になった。何しよう? と思ってたけど、特別にやりたい! と思うこともなく、昼近くまでダラダラ寝て、年末にできなかった部屋の大掃除でもするかと思った。
今は土用の期間やし、この時期の掃除はめちゃくちゃ開運するらしい。それに自分の部屋の中ある不要なエネルギーがスッキリすれば、これからは滞りなく進めるかも知れない。そう思ってのんびり大掃除に取り掛かった。
いろいろ出てきた。20年前くらいに買ったチャンキー松本さんとオカノアキラさんの33というユニットのデビュー前のデモテープと作品展で飾られていた作品。
♪33~ 33~ オレたち昔は新人類!
作品展の会場の天満橋にある14th moonでドはまりして作品を購入したんだった…。この後、デビューしてからの心斎橋クラブクアトロで行われたライブにも行ったなぁ。。。
続けてこんなものも出てきた。
ホフディランのサインは、最近閉店した梅田丸ビルのタワレコでデビュー直後のインストアライブを観に行った時のもの。確か写真もあったはず。
スカパラのサインは、確か三ノ宮のタワレコでアルバムを買ったらサインが特典でついてきたんだった。青木達之のサインが泣ける。
THE THRILLは、紅一点の女性サックスプレイヤーのユカリーナが好きだった。カッコよくて色っぽくて、なのにちょっと天然なところがあって、それがあざとくなくてほんまもんの天然であるところがたまらなくて、あんな大人の女性になりたいなぁ…って20歳の私は思っていたな。
こんな風に大掃除をしていると浸ってしまうシリーズに毎回浸ってしまう。
他にも職場でもらった寄せ書きや、学校の通知表なんかも出てきた。
ライターをやりたい!と意気込んで、町にある面白いものを探して歩いて見つけたものをVOWに投稿して掲載された見本誌も出てきた。
そして、一度だけ「坊ちゃん青春文学賞」に応募した小説が出てきた。
私は割と几帳面なところがあって、一冊のファイルに書き上げた小説、応募する前に友人・知人に読んでもらった感想をまとめていた。
確か26歳くらいに書いた小説。20年前の自分の生々しい文章を読むに堪えられず、読まずに捨てようかと思ったけど思い切って読んでみた。
最初は恥ずかしくてむずがゆくて、ギャーッ!!って悶えてのたうち回り、なかなか読むことができなかった。こんなん直視できない。
でも少しずつ読み進めた。何かやたらと三点リーダー( … ←コレ)を使っていて気に障る。文章の癖があって、自分がおもろいと思うギャグ的なことも書いていてヤバい。本当に恥ずかしい! 書いていることも、セリフも何というか、当時の自分の本当のことと、こうだったらいいのに…という想像で書いたことを交えていて、登場人物のモデルが誰なのかすぐにわかった。
文中にキーパーソンになる職場の女性の先輩がいる。主人公が心を開くきっかけになり、ずっと聞きたかった言葉をさらっと言ってくれる人物。読みながら、その人を思い出した。実際にはその人と小説の中に書いたようなことは話してないし、小説で書いたようなことは言われてない。でも、正直ではっきりと物事を指摘する気の強さがありながらも繊細な先輩を慕っていた。その人はちょうど16年前の今頃、亡くなった。
その連絡があった時、私はその職場を退職しており、当時の同僚から連絡を受けた。健康診断でとてもよくない部分が見つかったけど、再検査を受けずに誰にも黙っていたらしい。仕事中に胸が苦しくなって早退して、家に戻った後に亡くなったと聞いた。小学生のお子さんがふたりいるシングルマザーだった。その人のお名前も顔もはっきり思い出した。退職する時に私の送別会を開いてくれて「若いうちにいろいろやった方がいいんだからね! 私はもう子どももいるし、やりたいと思ってもできないから、それができるペコちゃん(その職場ではそう呼ばれていた)が羨ましい!」そんなことを言ってくれた。
先輩が亡くなった連絡を受けた時の私はどんよりと無気力になっていた時期で、外にも出たくないし何もしたくないと思っていたような時だった。でも、「お世話になった先輩とのお別れは行かないといけない!」そう思って葬儀場へ出かけた。とても綺麗な顔をしていた。あんなに元気に見えた人が、こんなに呆気なく亡くなってしまうのかと思った。私は生きているのに何をしてるんだろう?と思った。先輩の死に直面して、その3か月後に私は西表島へ行くことにした。失敗するのは怖いけど、また失敗してもいいんだと思えることができた。そして文字通り、西表島での私は失敗しまくり、怒られまくり、それでも何か大丈夫になってきた。子どもの頃に思い切りやりたかったことができた。失敗したり怒られたり、泣いたり怒ったり笑ったりできた。思い切り後悔するようなこともありながら、それでも大丈夫になってきた。私が書いた小説の中で先輩がモデルの人物が「大丈夫だから!」と言うのだけど、違った形でその言葉が本当になった気がする。
小説の感想の中には、最近手紙をくれた友達の感想もあった。彼女は当時も今も私の文章を読んでくれて、いろいろ感じ取って褒めてくれるし、ずっと応援してくれていることに改めて気づいた。
当時はまったく気づいてなかったけど、そんな風に当時も今も私の周りには応援してくれる人がいて、たくさんの愛があったんだなぁと気づけた。悪いことにばかり目を向けて、気づかなかったこと、見えてなかったことがたくさんあったんだなぁ。
小説は今の私から見ると過去世くらいの内容だったけど、たくさんのことを感じさせてくれた。読んでいて、当時の自分は何でこんな風にしかできないのか?と思ったけど、それでも精一杯に、何とかしようと必死ではあったみたいだし、今思えば何か可愛い。
この小説はもちろん賞はとれなかった。当時はすごく悔しかったけど、応援してくれた高校時代の友人が「賞はとれなくても、私にとっては一番だよ」と青いおもちゃの指輪をくれたのを覚えてる。
書いてて何か泣ける。すごく大切にされてきたんだなぁ。すごく応援されてきたんだなぁ。すごく愛されてきたんだなぁ。そんな風に今頃気づくことあるんだ。
大切にされてきたことや応援されていたことにまったく気づいてなかった過去のいじけた私とお別れする為に、小説は捨てました。だけど、小説を読んで感想をくれた人の手紙やメールをプリントアウトしたものは残した。それは忘れたくなかったから。
夢が叶わない方がいい時もあるんだな。
夢が叶うとか、思った通りになることだけが尊い訳じゃないんだな。
今回の旅行が行けなくなって、沖縄で会う予定の人に用意したお土産は、5月に旅のリベンジする余祝として郵送で送った。私のお気に入りをお土産に渡したくて波照間島みんぴかさんの鳥笛や、島根のARK TARAさんの黒焼き玄米の粉末を送ってもらったもの。沖縄を旅する際に、そこでお会いした方たちにお礼としてお渡ししようと取り寄せた竹田和平さん考案の「ありがとうボーロ」は、お土産と共に沖縄の友人に送り、お土産を急いで郵送してくださったみんぴかさんやARK TARAさんにも送った。旅行で見るはずだった緋寒桜の写真を送ってくれた奄美大島に住む友人にも送った。これは旅に出ていたらわからなかった喜びかもしれない。
「今回沖縄の旅に行かなくてよかった」という感謝を伝えに、休みの間にまた本住吉大社にお礼参りに行った。自分の絵馬を見たら何か笑えた。
休み明けの今日、海辺に散歩へ出ると桜の木がたくさんの蕾をつけていた。花が咲いている姿は今は見えないけど、花が咲くにはこの蕾の時期が重要なんだと思う。今はきっと蕾の時期。桜のエネルギーを感じながらnoteを書こうと、このnoteの書き出しは桜の木の下にあるベンチに座って書きました。桜が咲くエネルギーもすごいけど、きっと蕾の時期の中にエネルギーを蓄えている時期もきっとすごいものがあるんだろうな。大島桜の蕾はだいぶ大きくなっていて、あとちょっとで咲きそうだ。
蕾の時期も大切に愛でよう。それは人も桜も一緒。咲いている時だけが花じゃない。蕾の時期を楽しんでこそ、美しく咲くのだろうな。蕾の桜を誰も称賛しなくても、その蕾を愛でる人でありたいと思えた二泊三日のインナージャーニーはいい旅になりました。
これがあってこそ、きっといい歌が生まれて花が咲く気がした。