愛について
高砂のtentofuで10月30日まで行われている高濱浩子さんの「愛について」という作品展に行って来た。
20代の頃、愛について私はずっと考えていた。
何なら愛というものにめちゃくちゃ飢えていた。
私には愛なんてないと思ってた。
愛がわからなくて、どんなものなのかずっと理解したいと思っていた。
キラキラした女の子に「愛があれば大丈夫だよ!」と言われると「それが一番難しいし私にはわからないんだよ」と、ものすごくモヤモヤしてズーンと重くて嫌な気分になっていた。
当たり前のように自分を可愛いと思えて、可愛い女の子として振る舞える人が羨ましい。可愛い可愛いとチヤホヤされる人が羨ましい。素直に好きな人に好きと言える人が羨ましい。何のためらいもなく人に甘えられる人が羨ましい。欲しいものを欲しいと素直に手を伸ばし、何の苦労もなく手に入れられる人が羨ましい。そういうことができる人は当たり前のように愛されてきた人なんだろうなと思っていた。そうじゃない私は何なんだろうと思っていた。
その頃の私が思っていた「愛」とか「愛されてる」とかってものは、異性や周りからチヤホヤされるとか、どんなにワガママを言っても尊重されて大切にされるようなことを「愛」だと思っていたんじゃないかな。目に見えて周りが羨むような扱いを受けるようなこと。たくさんの人から人気があるとか、モテる人とか、そんなようなこと。何というか、その人に価値があることが目に見えてわかるように接しられている人が愛されてる人だと思っていた。それに比べて、そんな風に扱われない私には価値がないんだと思いこんでいた。
自分には価値がないと思って生きていくことは本当に辛かった。自分が嫌だった。早く消えて居なくなりたかった。早く消えて居なくなりたくて住んでたマンションの柵の無い屋上からずっと地面を眺めていたこともある。そして、そんなことを考えている女の子は、ますます人から愛される価値なんてないだろうなと思っていた。
どうやったら愛される価値がある人になれるんだろう?
愛を感じるってどういうこと?
ずっと疑問を感じていた。愛ってものがまったくわからない私は人を愛するに値しない。愛することや愛されることを諦めようとしても激しい嫉妬心は沸き上がる自分は何てダメなんだろう。何もない私からこれ以上何も奪わないでくれと叫んでいた。そういう自分がすごくしんどくて苦しい。こんな私に愛なんて見つけることができるんだろうか? そんな風に悶々と悩みまくった20代の私はこんな本を買った。
株式会社にじゅうにから出版されていた「one UBIQUIOUS LOVE ~愛のコレクター」という本。裏表紙にこんなことが書いてあった。
20年前に神戸にあるギャラリーvieさんに行った際に手に取った。
自分で書き込むこの本に、私は藁をもすがる気持ちで手を伸ばした。それから毎日のように「これは愛だったのかも知れない」と思うことを書き込んだ。わからない。わからないけど、これは愛だったのか? と書き込んだ。友達から届いた手紙なんかも「これは愛だったのかも知れない」と思って挟み込んだりした。わからない。わからない。愛って一体何なんだ。
それからずいぶん時間を経て、先日高濱さんと「愛について」対話した。
対話する為に、20代の私が「愛って何だろう?」と悩んで読んだ本や、これに愛を感じると思った写真集を持参した。その中に、「one UBIQUITOUS LOVE」も忍ばせていた。
高濱さんに「ご自身の中に愛はありましたか?」と尋ねられ、今の私は何の迷いもなく「ありました」と答えた。「ずっとないと思っていたけどありました」と。
私は愛をもらうことばかり考えていた。愛はもらうものだと勘違いしていた。チヤホヤされたい。モテたい。大事にされたい。好かれたい。誕生日や記念日には素敵なプレゼントをもうらとか。でも、私が見つけた愛はそういうものではなかった。
私の中にあった愛は、愛されていないと感じていた、愛なんてないと思って悩んで苦しんでいた自分をまるごと許してあげるようなものだった。
どんな自分も大丈夫。
どんな自分も好きでいていいんだよと許してあげるような愛だった。
ひどいことを言われたり、ひどい扱いを受けた私も許してあげる。
ひどいことを言った私も、ひどいことをした私も許してあげる。
嫌なことをされた私も、嫌なことをした私も許してあげる。
人から愛してもらいたいとばかり思っていたけど、本当は一番に愛されたかったのは自分自身なんだと思った。
どんなにひどい扱いを受けたり、ひどい言葉を言われても、自分だけはそんなことに迎合せずに自分の味方でいる。自分の素晴らしさを信じる。そうだな「自分を信じて、どんな自分も受け止める覚悟がある」。そういうことが私にとっての愛な気がする。
私の人生は世間一般からは外れた人生です。
人から見て羨むような成功も、チヤホヤされることも、持てはやされるこもない。目に見える成功や称賛はありません。
だけど、これだけうまくいかなかった人生の中で、私が思い描く幸福や愛を超えた、自分でも想像できないような面白い人生になっていった。たくさん悩んで、たくさん悲しんできたこの思いさえ、きっと私に与えられた愛。
何の悩みもなく私が頭で思い描いた幸せがぜんぶ叶えられたとして、今のこの私と同じ境地に辿り着けたとは思えない。
私が欲しかったものは、ぜんぶ私の中にあった。
愛はないと思うからなくて、あると思えばある。
それは幽霊が見えるとか、UFOがいるとかと同じようなもの。
アドレナリンが出るような幸せの絶頂みたいなものよりも、すごく悲しかったことの方が、時を経ると忘れられない大切な思い出になっていたりする。
そうなってしまえばこっちのもんで、悲しい出来事やうまくいかないことに必要以上に悲観しなくなった。渦中は大変でも、大丈夫だと思えるようになった。それほど強い愛はなかなかないと思う。
今となっては、悲観しまくっていたあの頃の私に感謝している。
たくさん悩んで考えて悲しんでくれてありがとう。
その想いこそ、誰にも奪えないあなただけの愛だよ。
今の私から20代の私に時空を超えて届くといいな。
どんなキラキラした人よりも、私は私自身に愛を贈ろう。
そうすることで、私はやっと一人前に人様に愛を差し出せる気もするんだ。
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