日に心を以てたたかう
2月15日(月) メンヘラニスト通信
(昨日のFacebookの記事から転載)
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【日に心を以てたたかう】
おはようございます☀
ここ最近、対談配信を連続でやってますが
けっこうテーマを決めて話しています。
一昨日の白井さんの配信は急遽だったので
ノープランですがw
#それはそれで面白かったけど
昨日のなるさんとの配信も
ライフスタイルについて話しました。
途中脱線しましたが…
#安定の脱線
配信を通じて
視聴者数やコメントの量
ディスカッションの質など
色々研究しています。
配信のアーカイブはこちらで観れます。
https://www.facebook.com/groups/471626537343244/?ref=share
今日のテーマ
『日に心を以てたたかう』というのは
荘子(そうじ)の言葉。
荘子は戦国時代の紀元前4世紀に
中国で生きた人で、本名は周(しゅう)
思想家で道教の始祖の1人とされる人物です。
● 日に心を以てたたかう
『日に心を以てたたかう』とは
人は毎日それぞれの心の持ちように
従って自分の欲望と闘っているという意味。
学校や会社の人間関係で日々
「闘い」の中に身を置いている…
競争社会に強制的に放り込まれてる状態だ。
でも闘う相手は他人ではなく自分自身
己の欲望と闘っている。
他人と比較して一喜一憂しているのは
他の誰でもない自分自身だ。
●大いなる者、小さき者
さらに荘子はこう述べている…
大いなる者の知はゆったりして
落ち着いている。
小さき者の知はあれこれ
詮索して落ち着かない。
大いなる者の言葉は
あっさりと淡々としている。
小さき者の言葉はおしゃべりで
うるさいばかりである。
寝れば夢にうなされて
目ざめれば体が落ち着かない
お互いに影響し合って揉め事を起こし
日ごとに心をぶつけ合って闘う。
大まかな心があり
暗くて険しい心があり
細やかな心がある。
小さな恐れはびくびくとしている。
大きな恐れは呆然とさせられて非常に恐ろしい。
心を発するのが
機(ゆはず)・舌(やはず)
のようだというのは、
物事の是非を判断する物言いである。
心を守ることが神に誓うようだというのは
自らの勝ちを守ろうとしている物言いである。
心が萎んでいくのが秋冬のようだというのは、
その日に衰滅していくことである。
心の惑いが進んでいくと
これを元に戻すことはできない。
心が覆われて閉じ込められたようだというのは、
老いてなお強欲なことを言う。
死に近づく心は、
もう復活させる方法がないのだ。
人は日々物事においてジャッジ(判定)している。
常識的に、世間的に、普通はこうだ…
ジャッジすることで自分を守っている
荘子の言うように”勝ちを守ろうとしている”
勝ちってなんだろう?
勝ってどうなるんだろう?
勝つってことは負けがあって
負けた人はまた挑んでくる
終わりは見えない。
荘子の言う”大きい” “小さい”は
言い換えると視野の広さで
小ささは視野の狭さ
大きさは視野の広さ
と言えると思う。
寛大な心で
どーんと構えてたら良い。
周りが勝手に心身を削り
秋冬の寒い季節、青々とした植物が
少しずつ枯れていくように衰退していく。
日々の世俗の欲望と争い合う人間関係が
時間と共に人間の心(精神)を
磨耗させ疲弊させていくのだと
荘子はしみじみと語る。
荘子はそれを
奥ゆかしく眺めてたのかもしれません。
ではでは👋