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【うつ病治った体験談】山田博によるうつ病治療方法日記PART2

↑からの続きとなります。

私(山田)がうつ病を治すことができ、その後ずっとうつ病が再発していない最後に受けた心理セッションについての体験談となります。

あくまで私の体験談ですので、皆さんにも当てはまるかわかりませんが参考になれば幸いです。

運命の出会いと邂逅

うつ病改善の恩人であるヒロさんに教わった岩波先生とコンタクトをとるべく、東京と大阪の事務所の電話に三回ずつかけてみた。
出られなかった。いそがしいのかな?
翌日もかけてみた。 つながらなかった。
心配になる。
何でつながらないんだろう
お忙しいからか、たまたまタイミングが悪かったのか?
これ以上かけて迷惑にならないだろうか
(今思えばメールしてから電話をかければ良かったです。つながらない時はつながりません。その時は日にちをおいてかけ直しましょう)

やっと岩波先生と電話がつながる。どきどきしたと同時に、安堵した。
出張をしていたらしい。世界で唯一の存在だから、いろいろな方面でひっぱりだこらしい。
ヒロさんから教えてもらって、電話してみました、と言ってみた。
ヒロさんは、先生に言わせると、かなりきつい状態だったらしいが、よくなったよといった。
ヒロさんに教えてもらって、希望が出てきました、と言った。
彼はとても優秀な人で、ばりばり働いている、と言われた。
私も一刻も早く、そうなりたかった。

岩波英知先生はとても気さくで明るく自信を持っている人だった。
みなぎるエネルギーがあった。声からも感じられた。
強いオーラにあふれている人だった。

世の中で、人間として本当に成功した人だけが持っている何かがあった。
落ち込みとか悩むとはまったく正反対にいる人なんだな、と感じた。
(先生は過去のある時期に心の危機を経験して、期することがあってこの仕事をしている。本来なら先生の技術ならもっと別の分野にいくらでも転用ができるから、悩む人向けに高度な技術を適用してくれていることに感謝)

私は今の苦しい状況や、何をやってもよくならなかったことを告げた。
時折、こういう症状もあるよね? とか、昔こういう事なかった? と言われた。
すべてズバリ当たっていた。
なんで電話だけであたるんだろう? と驚いた。
技術的なこと以外にも、そういう洞察力に秀でている。
家庭環境のことは言っていなかったが、そのことは最初に先生のほうから触れた。
父親のこと、気持ちを汲まれたことがなかったことなど先生の言われたことはまさしくその通りだった!
完全に岩波先生に参ってしまった。

岩波英知先生との電話

うちの(自己正常化プログラム、脳覚醒プログラムなど)は、そんじょそこいらのものとちがって、遙かに価値があるから、と言われた。
えらい自信で、ご自分の能力に相当に自負心を持っているなと思った。
さすがにヒロさんクラスでも克服に至ったんだな、と実感できた瞬間だった。

私は心配で過去のうつ病治療経験を話し、催眠に全くかからない人間なんです、といった。
薬も服用していることを言った(医者の元で減薬中だった)。
催眠療法とはうちはプローチ方法が違っていると言われた。
詳しいことは忘れたが、なるほど! と思った。

覚えていることは、催眠はどんどん被暗示生を高めていくアプローチをする。
つまりマラソンのように先が長くて、ゴールまで完走できるとは限らない(深い催眠状態での治療ができない)
先生の治療法は、ある特別な意識の変容状態に導いてもらい(確かにすごい深い感動した体験だった! 一瞬で誘導されます、ほんの1,2秒!)、脳に覚えさせることで逆にアプローチしていくというもの。
うまく文章で説明できないけれど、実際そのとおりにしてくれるから、先生がいかに人並み外れた能力、技術の持ち主か思い知ることになる。
これを深めるには家での課題もやるとのこと。
薬は最初はそのまま飲み続けて、呼吸法の成果が進んできたら、徐々に減らしていった方がいいと言われた。
薬を飲んでいても何の解決にもならないことが頭ではわかっていた。

うつ病の原因ってそもそもなんだろう

話はそれるが、うつ病は脳内神経伝達物質のトラブルだけでなる。だから薬を飲まなくては治らないといううつ病の人がよく言う理論に私は納得できなかった。
もちろんほんとうに脳内物質のトラブルだけでなってしまう人もいるかもしれない。それは薬物治療は必要だと思う。
ケースバイケースだ。
うつ病のカミングアウトが最近やたら増えているのも、「私は脳のホルモン異常なんだから病気なんだ」ということから来ているんだと思う。
昔はうつ病は気のゆるみだとか怠け者だとか(断じてそんなことはあるものか!)言われていたから、なかなか言いにくかった。

私にはかなり落ち込まざるを得ない人生を歩んできたものだから私のうつ病原因)、脳内物質の異常だとしても、あまりのストレスでそうなったんだという思いが強かった。
(うつ病が良くなった今、それは当たっていたと思う。まだまだうつ病はわからないことが多い。”最先端”の精神医学でさえも”原始”レベルなのが実情)
だから、根本原因を放置したまま(抑圧したまま)、このまま薬を毎日何錠も飲んで生きながらえても・・・・という気持ちが強かった。

そういう焦りがあったから、断薬するといったら、先生からいきなりはやってはいけないと言われた。
反動が来るし、それに我慢できなくてよけい薬に依存してしまうことの方が怖いと言われた。
焦りはうつ病にとっていけないが、 はやく無意識からうつ病の症状を治したかった。
徐々に様子を見ながら薬を減らしていった方がいいと言われた。
そこを乗り越えれば、ヒロさんのようになれるよと。
岩波先生に託してみようと決心した。

ぜひ岩波英知の神業を受けてみたいが・・・

でも、予約がなかなか取れないらしい。
岩波先生のスケジュールが難しいようだった。
受けられないかも、という思いがよぎった。
もう落ち込み続けるのは嫌だったら、一刻も早く通いたかった。
終電ぎりぎりの時間なら何とかなるみたいだった(私が通った当時は個人でも枠があったのだ。今は集団のみ。個人セッションは芸能人や有名人など。安倍元総理も通っていたらしい)。

一番早い時期がそれだったので、それで頼んだ。
終電に間に合わなくても、タクシーで帰れる範囲だったから。
それに海外から飛行機に乗ってくる人を考えれば、大したことはない
その日が来るまで、うつ病になるルーツを書いてきて欲しいと言われた。
呼吸法については何にも言われなかった。

はじめて岩波先生と出会う

ついに夜、岩波先生とお会いした。近くのコンビニで待ち合わせをした。
会った瞬間、会ってよかったと感じた。人とは何か違う雰囲気を持っている。
いままでの奴ら(失礼!)とは全く違うと思った。 ヒロさんも思ったらしい。
私の鈍った直感力でもそれは当たっていた。
不思議と不安よりも期待のほうがつよかった。
というより、不安と期待がごちゃごちゃに入り交じった感じ。でも希望みたいなものも確かに感じられた。

事務所に行く間、親身に話しかけてくれる。話しやすい人だなと思った。
驚くほど、その実年齢に比べ若々しかった。
毎日充実されているエネルギーにあふれていた。
失礼だけど、学者先生や事務的な医者、研究者的なドクター、今までの心理療法士、力量不足で頼りない先生方とは全く違っていた。
カウンセラーには絶対いないタイプ、人があっちに行くなら、俺は一人でこっちに行くというタイプ。
人と同じことをやることが大嫌いらしい。ありきたりは平凡を忌み嫌う人だ。
そしてリスクを恐れない意志の力、覚悟を持っている、そういう人間だと言えば少しは先生のことを理解できるかもしれない。

事務所に着く。こじんまりとしたところだったが、先生の人柄や気さくさもあり、居心地は良かった。
先生は場所には全くこだわらないらしい。
(むしろ汚くて狭いところでも、大物や成功者を呼べるという自負心を持っていると感じた)

最初にカウンセリングというか話し合いをした。
雑談の後、あらためて、何をするのか詳細に話してくれた。
うろ覚えだが、こんな事を言われた。
悩んでいる人はマイナスの感情にのまれ込んでいるから、それを破壊していく、と言われた。
でも、そのマイナスはとんでもなく強力で、ほとんど何をしても全く効果がない。それは潜在意識に入り込んでしまっているから。
効果がなかったのは、今まで私が通った心理セラピー全部だったし、どうすれば効果があるだろうか?
でも、うちは、理性の世界じゃない、ある特殊な感覚の世界で勝負していくができるからという。
そのマイナスの感情が、崩壊するくらい、徹底してとことんまで、「プラス」を脳に入れ込んでいく、という。

それと同時に、鬱病になった、それまでの人生の分析 をしていくという。
これを心から納得できるように、整理し、無意識から構築していく、みたいなことを言われた。
悩んだり落ち込んだり、気にしすぎてしまうのは、心のどこかにそうする必要性があるからだという。
これは頭とか意志の強さとはまったく別次元の世界にある、と。それは無意識の世界=脳の奥底の世界。
それに潜在意識が表面に噴出した時、色々な原因やドロドロとした感情が出てくるから、そこを処理することで気持に余裕を持たせていくと。
(抑圧処理、トラウマ処理)

今からそれをするよ、と言われた。
言われたとおりにしてくれるかな、と言われた。
私は先生の言われたようにした。呼吸をこうして、ああして、という感じだった。
ソファーに座りながら呼吸法をした。一生懸命指示されるとおりにした。先生が前に立つ。

超越した意識の純粋さしかない世界、宇宙的な意識

その瞬間世界観が一変した。
何が起こったのかわからなかった。
私は夢を見ていた。父親が出ていたのかわからない。
走馬燈というのを初めて見た。
とにかく強烈な世界だった。
あれ、催眠ってこんなんなんだ、と思った(※本当に深い催眠状態のこと)。
はじめて催眠に入れたと思った。
でも、催眠状態ではこんな深い状態にはいかないという。(催眠とは違う意識が変性する状態)
もっと宇宙的な深さだった。
私は人生の深淵をのぞいたような気がした。

すごくうれしかった。でも悲しい感じがした。抑えようという意志すら間に合わなく、涙がどんどん溢れてきた。
泣いていいぞと言われる。
大泣きしていた私がいた。赤児のように。全然恥ずかしくも何ともない。それは命の鼓動だった
先生はそっと見守っていてくれた感じがした。
優しく声をかけられる。
つらかったんだね、と。
よけい泣いてしまった。どれだけ泣いただろう。こんなに泣いたことは人生ではない。

先生のプログラムを受けて泣くことは良くあったが、初回ほどはなかった。
でも、涙がやんで気持に平静が戻ってきた時、心が晴れていた。
こんなすごい先生がいたなんて! と思った。
ヒロさんもそれが言いたかったんだな、と思った。
すぐヒロさんに報告したかった。 ありがとうと言いたかった。
やっぱり本物だった。すごいなんなんだ、あれは! 何が起きたかわからなかった
あまりのうれしさに、その後のことは全く覚えていない。
すっきりとした平静の中に興奮状態が渦巻いていた。 この方法なら根本から対処できるし、うつ病を克服できると素直に感じた。
これで生きられると確信できた。私は生きていいんだと思えた。

終電がかなり過ぎて、タクシーで帰った。 予定外の時間までとってもらって、本当にうれしかった。
明日は先生は早いというのに、夜遅くまで時間を割いてくれた。
睡眠時間がなくても常に憂鬱な顔をせず飛び回っている、話しまくる人だから、今は心配していないが、体を大事にして欲しいとその時思った。

岩波先生に言われた訓練を家で一生懸命やった(初回に教えてくれる)。
呼吸法やストレッチ法をやってくるように言われる。
現在はルーツ整理をトランス状態後の余韻の中でしかやらないが、当時は私は家でもやっていた(鬱病の人には一人でやることはおすすめしません)。
ルーツ分析をするとかなり楽になっていった。
苦しいことも多かったが。
父親のこと、職場のこと、学校での色々な出来事、あまりに私にはストレス要因が多かった。
その中でも負けずに必死でやってきたが、ついに心の方が折れてしまった。
いっぱいあるだろうな.....

私の人生を思い起こしてみると、やっぱりつらかった。
先生からは山田さんの心と相談して、あんまり負担がかからない程度でいいと言われていた。
情けなくもなり、重すぎる人生が、私にのしかかった。(これは後述したいと思います)
怒りもあった。
でも、人生そのものに、思えば私は向かい合ったことはない。
いま、立ち向かって、克服しようとしているんだな、と思った。

素晴らしい運命の出会いに感謝

ヒロさんにも報告した。
言葉じゃうまく説明できないけれど、どれくらいすごいかわかったでしょ、と言われた。
あの感覚は、絶対そうだ、と思った。できっこない。
先生の言われたことをがんばってこなしていって、と言われた。
気持を入れてやればやるほど、初回なんか比べものにならないくらい驚きがまっているからと。
先生の存在を教えてくれて本当に感謝していることを告げた。
お互い様だよ、と言われた。 僕がたまたま早く、あのプログラムに通っただけだから、と。
父親の長男として生まれるのも運命なら、ヒロさんや岩波先生と出会ったのも運命だったのだろうか?

良い出会いもあれば、悪い出会いもある。
言えることは確実に良い出会いが続いたなと言うこと。
うつ病で人との接触が憂鬱になっていたが、出会いの重要性を身に染みた。
億劫だなんていってられないな。動けばどんな素晴らしい出会いが待っているかわからない。

岩波先生に渡しのルーツ分析したメモを読んでもらった。
長かったが、一気に先生は読んでくれた。
すこし顔が曇っていた。
やっぱり私の人生が修羅場だったんだな、と思った。
すごいね、と言われた。
ほめられているのか、何なのか微妙だった。
こんなことで一番になってもしょうがないんだろうが。
これじゃ、落ち込んで当然だよ、山田さんと言われた。
でも、この人生は消化できるよ。何ともなくなるから。
こだわりも感じなくなるし、マイナスの価値がなくなるから、と。

私がうつ病に陥ったのは、過去の人生にこだわりがあるからだ、となるほどと思った。
過去と訣別したら、気持も楽になるんだろうなと。
だから、ルーツの分析は必要なんだ、と。
また、あの深い感覚の世界にいれてもらった。
私はまた泣いてしまった。それぐらい人生が重くのしかかっていた。
でも、すごくすっきりした。
なにか、私の心のどこかにずっと支配していた暗闇がなくなっていた感じだった。

運がいいことに私は最初から無意識の抑圧が出ていってくれたようだ。
呼吸法も一生懸命やってきたし、自分一人でもなにか変性意識と呼ばれる状態を経験した。
初回から二回目に通うまでの間、時間もたくさんあったから、とにかく呼吸法だけをし続けた。
初回の脳の感覚がすぐ蘇ってくれた。
「何なんだ、すごい感覚だ」という変性意識の中ますますやりこんだ。
まさに奇跡の中にいるんだと感動しつつ。
一人で感情的になって泣いてしまった。
この涙が私の鬱積したマイナスの感情を洗い流しているのだと思った。
そのやりこみが功を奏したのかもしれない。

抑うつ状態が晴れていく!

翌日、抑うつの気分がなくなっているとはっきり感じた。
目覚めが最高にすがすがしかった。不眠症で苦しめられてうつ病になった私だから、その時の感動は筆舌に尽くしがたい。
岩波先生が、マイナスの私の感情を打ち破るために、プラスの感情を入れ込んでいてくれたらしい。
でも、私はそれに気がつかない。
無意識とある感覚・感情の世界の中にいたため、先生の外からの言葉が聞こえなかった(というか、記憶の暗示を入れたとのちにわかる。非常に高等技術の暗示)

でもそれがよいのだ。意識で聞いていない、でも、無意識では先生の暗示を受けれていたのだ。言われたことを忘れるってことはそれだけ無意識に染みこんでいるとのこと。
結果的に、暗示がすごく入り込んでいる実感がした。
本当にそれしかない! と思えた。
どういう暗示を先生が入れ込んでくれていたのか、わからなかったが、そういう実感があった。
私が求めている本物の治療はこういうものなんだと思った。

元気も湧いてきた。希望を感じられると人は元気が出てくる。
空元気ではなく、本当に心の重荷が消えて、その上での元気だった。
つまり「あるがまま」の状態でのモチベーションといったものだった。
トラウマ破壊もやっていこう、家での呼吸や、暗示も聞き込んでいこうと思った。
悩んでしまわない思考状態はどういう事か、と言うことも話し合った。
長くなるからここでは書かない。
いつも話をするだけでも、本当に世界が一変する。
そして、昔の自分はいかに悩んでしまうためだけの思考と行動様式をしていたか、思い知った。

呼吸法、トランス誘導、暗示、トラウマ処理

とにかく家で課題を一生懸命努力した。
呼吸と暗示とトラウマ整理。
やればやるほど、効果が上がった。
岩波先生は忙しく、なかなかすぐに予約が取れない。
だから、家でやるべき事を、だれよりも努力した。
良くなる実感が生であるからだ。
もう自律訓練法なんてものの1000000倍は深さや効果の密度が違っていた(本当に)。
今までとは比べものにならない効果を感じつつ、励んだ。
ただ先生からは症状チェックや感覚の確認をしないで、バカになってやった方がいいと言われた。
これはその通りだった。

悩んでしまう必要性について考えた。
なんで悩んでしまうのか、訳がわからなかった昔。
知ろうとしても、真相は藪の中だった。
見当はついていたが、はっきりと知覚できていなかった。
人間は傷を負って、痛いと思うということは、実は生きる上でいいことだ。
だから、危険を避けたり、命を大事にできるからだ。

じゃあ、心の上ではどうだろう? 
気になりすぎることは、気にすることで、危険を避けようとしているんだな、と思った。
何の危険から自分を守っていたんだろうと振り返った。
人間だった。友人だった。知人だった。親だった。世間だった。
あ、そうか、と思った。
危険から避ける対象物がなくなれば、先生の言われた「こだわり」がなくなればいいんだ、と感激した。
それは私の無意識に潜んでいる。
なおさら、先生の力が必要だと感じた。
先生の力を最大限に引き出すのも、家でやる課題を気持を込めてやってくることだ。
バカになってとにかくやろう。
結果なんか考えなくていい。結果を意識すると焦るだけだから。
今までの私とは正反対の思考で取り組むことは最初大変だったが、コツをつかんでくると充実感に変わる。

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