見出し画像

白猫、逝去

2020年5月にクレアチニン9.2を叩きだしてから早4年。
5度の入院を経て、冷やすのがダメなのに真冬にエアコンぶっ壊れ
以来ホットカーペット2枚はつけっぱなしの習慣に、そして新しいエアコンの電気代がかかってるからか、毎月の電気代6万に耐える日々。

冬さえ乗り切れば、何とかなると、思っていた。
ここ1年半は入院もせず、クレアチニンも何故か2.7前後をさまよい続け。

食欲が落ちたり、何となく異変と思っても、クレアチニンばかり気にしていたため、2023年11月の貧血を指摘された時も、それでもまぁ動いてるし、高齢だし、と、積極的に治療を提案しなかったことが、多分今回の、一番の分かれ目だった。

何となく食べなくなり、でも強制給餌をすれば栄養は保証され、の日々。
一年近く強制給餌をして、奇跡の生還を果たしていただけに、食べさせて、痩せなくて、クレアチニン値が特別酷くなければ、何とかなると、思っていた。
二週間前までは、レメロンというドーピングはあったにせよ、自分から、好きなご飯をねだる程度には、食欲はコントロールできていて。しょうがないなぁと、私も山ほど腎臓サポート食を探し、夕方帰宅時に、一番好きな銀のスプーンをあげる習慣が、本当に幸せで。

最近、冷え症の白猫が何故か時々、玄関の上にいるのが気になって
汚れるでしょうと言いつつも、連日の20度以上で、暑いのかな? くらいにしか思わず。むしろ、ホットカーペットにいまだにいる黒猫の方が、変だろうと、心配になったくらいで。

2日前、なんか表情悪いなと気になり、久々の写メを取る。
最近、良い顔がなかったから、撮ってなかったことに、うっすら気づく。

違和感感じつつも、3週前のクレアチニンはいつも通りだったしな・・・と思い、出かける。半日行動で帰宅すると、ドアを開けたらいきなり白猫が玄関で、倒れるといっていい状態。しかも顔を床に落として。

その日は木曜日。
いつもいく動物病院が休診。
水曜夕方、早めに帰れたのに、連れて行かなかったことを悔やむ。
何となく食べず、強制給餌を続け、朝吐いてたのだ。
水曜朝、頑張って1回でも多くあげようと思ったのに、朝出勤直前に広範囲に吐瀉物を撒き散らされ、なんでそんな吐くの! と叱ってしまった。変に過食嘔吐することや、わざわざ布団やカーペットに移動してから吐くことががあったから、わざと吐いているように見えて、せっかくあげたのに脱水にもなるしと、イライラしてしまったのだ。
私は介護にむいてないと最近痛感していた。強制給餌も夫の方が格段に上手い。私は撒き散らされる。でも私の方がまめなので、回数が結局多くなる。レバーペースト的なそれは、本当はやや潔癖気味な私にとっては、爪の間に入ることも、床に破片を撒き散らされるのも、ストレスだった。どうせ食べるなら早く自分から食べてよという思いにもなっていた。
本当に判断が狂う時は、とことん狂う。

ダメ元で動物病院に電話するが、当然出ない。
でもよく知らないところに行って、どう扱われるかも、心配で。
夕方、強制給餌を試みたら、いつになく口を固く閉め、拒否し、そのあと首をがくんと落とした。大声で何度も名前を呼んだ。瞳孔が開いて、反応はないが、呼吸はしている。

腎臓だという思いがあるため、ひたすら腎臓のあたりを、手で、温める。
金曜は午前半休。
朝イチで見てもらうまで、とにかくもたせないと。
静脈点滴でいつも回復していた。何とか、せめて、そこまでは。
お腹も冷たい。手足も冷たい。
でもホットカーペットの上は嫌がり、時々よろけて起き上がりながら、フローリングに寝てしまう。


最初座りながら温めていたが、私が腰を痛めたのと、あまり白猫が動かなくなったのもあって、いつも一緒に寝る私の枕の横で、徹夜で手で温め続けた。

待望の金曜朝、開院30分前に着いたが、既に4番目。
問診表に、死にそうです、と、様々な症状を書く。
早朝仕事の母が、すごい早さで、私が仕事に行っても良いように、かけつけてくれる。
途中、いかついおじさんが、ぐったりした犬をケージに入れ、急患ですと、ブザーを鳴らし、待合室にいなかったスタッフを呼び出す。開院15分前で対応してもらっている。えーうちもって言おうかなと迷っていると、そのおじさんにスタッフが、かなり厳しい、ご家族は他は来られていないんですかと聞かれ、なんかうちより悪そうだなと思って様子を見ていると、うちも順番飛ばして呼んでもらえた。

まず検査。
低体温、35度しかないことが判明。
おそらく腎性である極度の貧血。そこは輸血は、やっておらず。
胃に大量の未消化物。尿はできている、クレアチニンはやはりいつもどおり。

肝臓のGPTがエラーなのは、異常数値かもしれないけれど、わからないと。
点滴、酸素、保温ができるところに入れられる。私はこのあと出勤するから、閉院前に夫が来ると伝える。奥の処置室で会わせてもらう。頑張るんだよ! と声をかける。少し瞳孔が小さくなっている。目は合わないけれど、良い兆し。

仕事の合間に電話を入れ、無事は確認。
夜夫が迎えに行く際、夜間入院時はスタッフがいないため、日中入院で、夜は帰宅するという案を言われ、日中誰もいない我が家としてベストの選択と感じ、連れ帰ってもらう。37度まで上がったとは聞いたが、それは、保温のためだろう。他は、厳しい状態だった。

枕元で寝かせ、10分おきに様子を見る形にする。起き上がろうとした時、トイレに連れていくと、中で頑張ってできなくても、外に出した途端にしたりで、ベッドに失禁されることは、結局最後までなく、3回ちゃんとトイレで頑張ってくれた。

木曜夜は、黒猫と一緒に過ごすこともできた。
瞳孔は開き、呼びかけに反応もあまりなかったが、
白猫はよく手を握ると握り返してくれたり、手をつなぐのが好きで、一緒に手をつないで寝ていたから、手を出すと、握り返し、放したがらなかった。

金曜夜は、何故か黒猫は一緒に過ごさず、別で寝ていた。
そして、木曜握ってくれた手が、握られなかった。
何だか、そこにいるけれど、白猫の気配が感じられなかった。
低体温の対応をするために、土日が休みの夫と、不眠耐性が強い私が2徹目で交代で白猫の介護。夫の時間だが気になり見に行ったら夫が寝落ちしていたのでベッドに連れていき、保温とトイレ介助。一度、少しだけ、多分30分、眠ってしまった。気づいたらベッドの下で白猫が横になっていた。落ちたのか心配だったけれど、その後一度自力で上半身だけ使って、足を引きずりながら、降りてる白猫を見たと夫が証言。

そして土曜仕事の私。
朝、寝てしまっている私を尻目に、夫が白猫を再入院でつれていく。
頑張るんだよと、寝起きで小さい声しか出ない私。
ここで、今日は夕方前には帰るから、そこまで頑張れ! と、白猫に、強く声をかけなかったことは、生涯の後悔の一つになる。

勤務中、動物病院からの着信があった。
私はちょっと仕事が特殊なので、仕事中は電話に出ない。
でも、着信の意味は、わかった。
普通に仕事をしているが、手だけ震えているのを、そっと隠す。

無言作業の時間帯になり、心の中で私は、白猫に強く語りかけた。
まだ行かないで。
私の苦痛に満ちた、コロナ後の4年間、地獄の日々、あなたが奇跡の生還を遂げてくれたことが、唯一の希望だったんだよ。
お金なんかいい。何とか更に仕事探すよ。心配しないで。いてほしいから、毎月7万の医療費大変だったけど、それだけの価値があったからだよ。あなたがいたから、仕事頑張れたんだよ。そうでなければ、コロナで酷い目にあってたし、私は仕事減らしてダメになってた。あなたがいたから、4年間が、輝く生活になったんだよ。
私を一人にしないで。
頑張ってくれたのは知ってる。
でもまだいて。あと1年で20歳だよ。

イメージの中の白猫は、洞窟みたいなところにいた。目は元気な時の様に、丸く輝いている。私の顔を見て、私の訴えを聞くけれど、振り返っては進み、振り返っては進み、で、どんどん先に行ってしまう。

ねえ聞いて。行かないで。こっち戻って来て。私達がいるんだよ。私と夫と、黒猫と。

心の中で叫びながら、どこかで、もう止められないと、感じてもいた。
洞窟の先の、光の中に、白猫が消えていく。

合間、ルール違反だけど、大丈夫そうなタイミングで、ちらっとlineを見た。
夫から、「静かに眠りました」と。

仕事をして、受け取り予定だった荷物を変更して、バスで少し泣きながら帰宅する。自分も年を取った、静かに泣いて終わるんだろうなと思っていたけれど。

夫のベッドに横たわる白猫を見て、結局私は子どもの様に大声で泣きだした。
どうして逝っちゃったの!!!!
どうしてあと2時間待ってくれなかったの!!!!
逝かないでよ!!!!
どうして!!!!

夫が気を使ってか、私が大声で名前を呼びながら号泣する間、ベランダにタバコを吸いに行った。

どこかで、でも、実はずっと白猫は体もつらくて、気力だけでもたせてくれていたから、やっと解放され、疲れたんだろうなとも、感じていた。
何度もお礼を言った。
私のあまりの勢いに、夫は、自分の初のペットロスを丁寧に味わうタイミングを逃した。
多分明日、私が出勤した後に、じっくり味わえるんだろう。

(以下眠るような遺体あります、ダメな人はここで閉じてください)






19年間、一緒にいてくれて、ありがとう。
触れ合えなくはなってしまうけれど、存在は感じているから。
たくさんの愛をありがとう。
これからも、見守っててね。



いいなと思ったら応援しよう!