#5, わからないのに質問できない…と思ったら
何かを教わったり人の話を聞いていて
わからない、理解できない。
なんてことはよくあります。
もちろん私にもよくある。。
もし、わからないならわからないことを
聞けばいいのだけれど、それをしない
できない人が多いように感じます。
個人的には「なんてもったいないんだろう」と
感じてしまうので
それが自分と周りにどれだけの
損失を生んでいるのかと
その解決方法をお話しします。
周囲を気にして手を挙げられない人
例えば、学校で先生の話を聞くような
1対多数の場面があったとします。
その話を聞いて、わからないことがあるのに
それを聞かない、聞けない。
わからないままにする。
恐らく「聞けばいいじゃん」と
誰もが言いそうな気がしますが
実際その環境になってみると、
それができない。
私がよく聞く話だと
その理由はこの2つが多いです。
「恥ずかしいから」
「なんて聞けばいいのかわからないから」
どちらも、もったいないことをしているなぁと思ってしまうのですが
そうなる気持ちもわかります。
周りが誰も手をあげないのに
自分だけ手を上げるのは恥ずかしい。
調和という皮を被った同調圧力が
根強く浸透しているこの国では
周囲と違うことをしているだけで
「浮く」とか「おかしい」なんて
思われてしまう。(と思い込んでいる)
「なんて聞けばいいのかわからない」
というのはまた違った感情だけど、
これももったいない。
話を聞いてませんでした。という
前提をひっくり返すような言い訳は
置いといたとして
そうでないなら誰でも簡単に
質問は作り出すことはできます。
たとえ、「もぅわかってるから聞くことなんてない」と思っていたとしても。
まずは、その場で質問しないというだけで
どれだけ損をしているかということを
理解していただきましょう。
自分だけでなく、周りの人と教える側でさえ損をする
「自分だけ分かってなくて
バカだと思われたらイヤだな」
「手をあげて話すこと自体が恥ずかしい」
とりあえず今だけは
そんな恥とか不安なんて感情は
脇に置いて聞いてください。
わからないことをそのままにすることに
それぞれにどんなデメリットがあるのか
少し考えてみましょう。
ここで言うそれぞれは
・自分
・周囲の人たち
・教える側の人
の3つの視点で考えてみてください。
まずは、自分にとって
どんなデメリットがあるのか。
これは単純に
「わからないことがわからないままになる。」
ということですよね。
至極当たり前のことです。
それを後で個別に聞きに行くとか
誰かに教えてもらう。
そんな行動をとれる人もいますが
それはそれでもったいない。
その理由は後ほど書きます。
次に周りの人にとってのデメリット。
周りと同じことをしてる
(空気を読んで手をあげない)のに
デメリットがあるのか?
もしかしたらそう思うかもしれませんが
大いにあります。
デメリットを与えていると
言ってもいいかもしれません。
それは一言でいうと
教わる機会が減っているというデメリット。
教わる機会が減るとはどういうことなのか。
例えば、
なにかわからないことがあったとする。
簡単なことでも、基本的な内容でも
なんでもいいです。
で、大抵は周りの誰かも同じことで
わからないと思う人がいる。
あなたがその場で質問することで
「そんなこと恥ずかしくて聞けないよ…」
そう思っている人が
改めて教わる機会を得て救われる。
「私以外にも同じとこで
わならなかった人がいたんだ。」
そんな安心を感じたりもする。
もし話を聞いていなくて理解できていない。
なんて人がいたら
合わせてその人のことも救っている。
さらには、
「そんなこと改めて質問しなくてもわかってるよ」
なんて頭のいい人たちにとっても
「なるほど、そういう部分で
わからない人もいるのか」と
教えるときのための役に立つ。
その場で質問するだけで
こんなに人のためになっている。
もし仮にあなたが手をあげずに
わからないものをわからないままにしていたら、
この機会が全部なくなってしまう。
だから質問しないことは
周りにとって機会損失という
デメリットを与えているということ。
さらに、
教えている人にとっても
質問されないことで、デメリットがある。
そもそも前提として、
1対多の場面でなにも質問がない
=
全員が理解している。
なんて教える側の人は思っていない。
なにも質問が出てこないとき、教える側は
「本当にちゃんと理解できてるんだろうか…」
「わからないことがあったら今聞いてくれ…」
そんな不安な気持ちになっています。
だから、その場で質問されるだけで
教えてる人は単純に嬉しい。
もしかしたら中には口が悪い人で
「説明したばっかりだろ!
なんでわかってないんだ!」
なんてこという人がいるかもしれないけど
しょうがねぇなぁと言いながら
噛み砕いて教えてくれたりする。
つまり、内心はわからないことを
聞かれて嬉しく思っている。
実際に教える人にとっても
「この伝え方で理解できない人がいる。
それなら別のわかりやすい例えを考えよう」
そんな教える立場としての経験となる。
わからない人に教えるということは
そのことに対して、
より解像度を深く理解していなくてはいけません。
別の教え方を考えるということは
そのまま解像度を上げることに直結するので
教える人にとって想定外の質問は
とっても役に立つし、ありがたいものです。
もちろん、質問する人もされる人も
それを聞いてる多数の人も
そんなことは自覚していない。(と思います)
だれもそんなことには
気が付いていないかもしれない。
けれど、その場で質問するだけで
こんなに人の役に立っているのです。
先に「後で個別で聞くのはもったいない」
と言いました。
その理由はもうわかりますね。
個別に聞いてしまったら
周りにいた人たちがその場には
いないことになるので
多数の人の役には立てていないのです。
だからとってももったいない。
では、質問するためには…?
そうは言っても
「恥ずかしい」
「質問が思いつかない」
そう思うこともあるでしょう。
この2つをそれぞれ解決していきます。
まず「恥ずかしい」に関しては
当然ながら感情の問題です。
ただみんなの前で質問をするだけなのに
恥ずかしいというのは
周りからどう思われるとか、
言葉にできない不安とか
そんなようなものが
邪魔してるだけでしかありません。
そこから一歩踏み出すには
始めだけ少しの勇気が必要です。
本当に始めだけ。
一度踏み出せればあとは
少しづつ慣れていきます。
不安と感じる方に飛び出すことの
メリットやその方法については
こちらの記事に詳しく書いていますので
参考にしてください。
ではもう一つの
「質問が思いつかない」を解決するためには
どうすればいいのか。
そもそも、思いつかないと思う人の大半は
「最後に質問がある人?」
と、問いかけられてから
考えている人だと思っています。
要するに思いつかないのは
考えている時間が短いから。
なので、聞かれてから考えるのではなく
話を聞いている段階から
「なにを質問しようかな?」
そう頭の中で考えることです。
この意識があるだけで
聞きたいことは簡単に出てきます。
そのとき出てきた質問内容は
忘れないようにメモできればなお良しです。
それでも、
質問するようなことが思いつかない。
わからなかったことがない。
そう思うこともあるかもしれませんね。
そんなときはこう聞いてください。
「〇〇は△△という理解で合っていますか?」
これは
『教えられたことが自分の解釈で合っているか』
という確認の質問です。
教える側は伝えたことが
教えた通りの内容で聞き手に受け取られているかはわかりません。
そして同時に、自分の教えたことが
ちゃんと伝わっているかを
知りたいとも思っています。
(ほとんどの場合無自覚だと思いますが)
そこで、この確認の質問です。
教える側と聞き手側の解釈の一致なんて
改めて聞くことでしか確認する方法は
ありませんから。
この質問は私の周りでも頭の回転が速い人や
仕事ができる人ほどしている印象がありますね。
私も実際にこの確認をされて
認識が合っていれば
「教え方は間違っていなかったんだな」
と思って嬉しいですし
たとえ少し違っていたとしても
そこでなにを間違えていたのかが確認でき、
その間違いが分かった上で
改めて教えることができるので、
やっぱり嬉しいです。
最後に
たかが、みんなの前で質問をする。
ということだけの内容で
3500字以上も書いてしまいました。
心がけとして、
それだけ大事だということです。
ここまで色々と書いてきましたが
私もまだまだできていないな
と思うこともあります。
学ぶ内容に集中しすぎて
質問を考えていなかったり…
質問する隙を見つけられなかったり…
そうやって質問ができなかった時は
悔しかったりします。
それでも、この意識を持ち始めてからは
なにに取り組むにしても
向き合う姿勢が自然と変わりました。
それはきっと、いい成果にも
つながっていると思っています。
質問をすることを通して
この『向き合う姿勢』を
あなたの当たり前にしてくれたら
私は嬉しいです。
それではまた。