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サレ妻・アグレ妻 2

サレ妻がアグレ妻と豹変するとき。アグレ妻とはアグレッシブな妻。これは怒り狂ったサレ妻が夫をとことん追い詰めるアグレ妻となった10年にわたる話である。

さて、夫、もとい、当時夫、今や元ダンの、浮気証拠を手に入れるべく、彼の経営する診療所侵入の計画を立てるが、なかなかいい日が到来しない。
なんせ診療所が留守になる時間帯は、つまり元ダンは帰宅し、子供たちも家にいる。真夜中にこっそり出ていくわけにはいかない。私が怪しい人となってしまう。

携帯もSNSもない時代である。
ある意味、今時の人は、インスタに上がった写真などで 証拠はすぐあげられるのではないか?
証拠は 診療所の事務室にあると、私はにらんでいた。コベンツちゃんは、私もしょっちゅう乗っていたので、そこに証拠を残すことは、さすがの元ダンもできないだろうし。

しかし、診療所への侵入、
それは大きな冒険であった。
危ない橋を渡る、と言うような経験を私は人生で経験したことがなかったのだ。
のんびり、穏やかに生きてきた。

これは綿密な計画を立てなければいけない。

ところで、信じられないかもしれないが、元ダンは、一人で夜が過ごせない。まだ子供がいなかった頃、私に当直先の病院まで来て欲しがった。夜だけではない。学会で離れたところに行くときは必ず私たちも一緒に行った。一人で旅行もできないたちなのだ。

ひとりっこで寂しがり屋なんだ、と自分では言っていたが。

そんな元ダンであるからこそ、私は女がいると確信した。
ある休みの日、私に子供たちを連れて、実家に遊びに行ってくればと言ったのだ。
元ダンが、私たちの事を思って優しいことを言ってくれた?
んなわけないじゃん、である。


診療所詮索の日は突然に訪れた。
診療が休みの水曜は、子どもたちも幼稚園に行っていないので、たいてい元ダンと二人でランチに出かけたりしていたのが、その日は、何とか先生に、大学病院で、何とかのやり方を教えてもらいに行く、とか言って 出かけてしまったのである。

怪しい。
そして今日こそ
決行の時だ。

私は診療所のマスターキーを持って出かけた。
ああ、しかし、元ダンはなんて浅はかなのだろう。私がここに来る機会があるとは想像もしていないのだ。

証拠は 造作もないところにいくらでもあった。
元ダンは後生大事に、女と会った日や場所をノートに書きこんでいた。それは隠されもせず、机の上にあった。

そして私の怒りに火をつけたのは、そのノートにはさんであった数枚の写真である。

女と一緒の写真?

ではない。

それはひと月ほど前、友人たちを呼んで行ったホームパーティの写真である。
なぜそれがこんなところに?

そして私は気づいた。
その中の一枚は、私や子供たちが写っていたはずが、その部分だけ切り取られていたのである。
私はショックで呆然とした。

元ダンは私たちを削除したのである。

そのホームパーティは、“私の友人”であるオーストラリアから来ている夫婦とその友人を呼んだもので、私がすべての料理を作ってもてなしたのだ。しかし元ダンは女に、さも自分が外人を招いてパーティを開いたかのように見せたかったのに違いない。

怒りの火に注ぐ油がさらにあった。

浮気の疑惑を持ちながらも、家族の写真を入れて持ってくれるかと、クリスマスに私が元ダンにプレゼントした革製の写真入れには、女の写真が入っていた。

サレ妻はアグレ妻と化した。


もう黙ってはおれない。
すぐに見つけた女の電話番号。

さあ対決である。

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