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友だちに誘われてはじめた合唱を、誰よりも長く続けている
アイドルになりたかった。
テレビの中でキラキラと輝き、かわいい衣装を見に纏い、歌うその姿に恋焦がれていた。
いつでもどこでも真似っ子をして、夢中になって歌い踊った。母に何度叱られたか分からない。
それくらい夢中だった。
年長の時、好きな男の子と笑い合いながら、卒園文集にかいた「あいどる」の拙い文字とアイドルになった自分の姿の絵をまだ覚えている。
小学生になってから、少しずつ現実を知った。
テレビの中の世界は儚い幻みたいに感じられた。
──どうせ、なれっこないや。
そんな夢物語を追い求められるわけもなく、あっさりと手放してしまった。
それでも歌うことは大好きで、夢中になって母と音楽番組を観ていた。
ミュージックステーション、うたばん、HEY!HEY!HEY!……。
テレビの中で歌うその誰もが輝いて見えた。
たまに流れる昭和歌謡の特集を母と観るのが大好きだった。母が昔を懐かしむように口ずさむのを、見よう見まねで歌っていた。
ピンク・レディー、少年隊、荻野目洋子さん、松田聖子さん、中森明菜さん、globe、BOØWY……。
特に、母が歌う欧陽 菲菲さんとアン・ルイスさんの曲は絶品だった。
私は、年代を問わずたくさんのアーティストの曲を吸収していった。
私と母を音楽が繋いでいた。
そんな中、4年生から部活動が始まった。
当時は、春から夏にかけて野球部、ソフトボール部、音楽部。秋から冬にかけてバスケ部、サッカー部と決まっていた。
各々、大会や音楽会のために活動する。
部活動に参加するつもりはなかった。
来年から、委員会活動も始まるし、今は遊んでおこうと思ったのだ。人と戯れるより、本を読んでいる方がずっと楽しかった。
けれど、思いがけず友達に声をかけられた。
「一緒に音楽部に入らない?」
この一言で運命が変わることになる。
小さな音楽室に集まる4年生~6年生。約40人。
約40人で「鮎の歌」を歌う。
……これが結構難しい。
「鮎の歌」という曲も難しいのだが、音楽の右も左もわからない私は戸惑うばかりだった。
楽譜は、ドレミを書いたら何とか読める。拍はなんとなく数える。その他音楽知識、授業程度。
音取りするだけでも一苦労だった。自分で音取りなんてできるはずもなく、先生に弾いて貰いながら、覚えるのが精一杯だった。
それでも、歌うことは楽しかった。
自分の歌声に歌詞がのり、感情が映し出される。それだけでウキウキとした。
そして、たくさんの人の歌声が集まり、ひとつになることがとても新鮮だった。
今まで感じたことない、心の底から湧き上がる熱情に浮かされた。しあわせだった。
学校生活で1番楽しい時間。それが部活動の時間になった。
そのうち、塾が……他の習い事が……とぽつりぽつりとやめる子が増えてきた。
友だちも歌うことより遊ぶことの方が楽しかったらしく、練習に来なくなった。
歌うことに夢中だった私には、あまり気にならなかった。
真剣に詩と曲に向き合うことが楽しかった。
***
夏休みに入り、身体が言うことを聞かなくなった。正確には喉だ。喉に若干の違和感を覚えた。
母に連れられ、かかりつけの小児科に行った。
病院嫌いの私は、ずっと不貞腐れていた。
「炎症を起こしています。しばらく歌っちゃダメですよ。」
慣れない活動は、身体に支障をきたしたらしい。「はーい。」などと口からは出たが、心の中では“知ったことか!!!!”と叫んでいた。
私は、歌うんだ。
私は、あの輝かしい瞬間を手放さない。
嫌だ。
歌い続けるんだ。
どうしてだろうか。
どうして、こんな気持ちになるのだろう。
こんなに夢中になるのは、読書以外ではじめてだった。ただ、みんなで歌っているだけなのに。いつのまにか、私にとって合唱はなくてはならないものになっていた。
結局、私が練習日を休むことはなかった。
***
9月。音楽会へと参加すべく授業を中抜けした。クラスメイトを教室へ置いて行き、ランドセルを持って外へ出るのはなんだかワクワクした。先生に引率され地下鉄に乗り、ホールへと向かう。ワクワクとそわそわでどうにかなりそうだった。
ホールに着くと区の小中学生が集まっていた。
制服を着た中学生は何だか大人びて見える。
知らない人の前で歌うんだ……!
私の……私達の歌を聴いてくれるんだ……!
はじめてのことに胸が高鳴る。
ワクワクとそわそわにドキドキが追加された。
順番に金管だったり、合唱だったり……各々が演奏をしていく。
演奏している姿は、かっこよく見えた。
普段の様子はわからないけれど、みんなが一生懸命にひとつの演奏をつくりあげる姿に見惚れた。
自分たちの出番になると、楽譜を持ちステージへと進む。
ステージに立つのは緊張した。立つだけで鼓動が早くなる。お客さんのこともホールのことも頭の中から抜け落ちた。眩しすぎるほどの照明が私達を照らしていた。
先生が指揮を振る。ピアノの音が鳴る。
息を……吸えない。これが、緊張か。
はじめてのステージはぎこちなかった。決して、満足に歌えたわけではなかった。実力の何パーセントを発揮できたのだろうか。
それでも、みんなと歌う胸の高鳴りや快感に子供ながらに酔いしれていた。
歌ってよかったと思える瞬間だった。
私がいるのは武道館じゃなくて、800人規模のホール。客席には、ファンというよりは同年代のお友達。私を写すのはテレビカメラじゃなくて、小さい家庭用ビデオカメラだった。
それでも、光り輝くステージでみんなで歌い上げる合唱は、何よりも尊く感じた。
こうして私は、合唱に魅入られることになったのだった。
その後、社会人になっても合唱を続けていることになるけれど……小学生の私はまだ知らない。