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自己紹介
はじめまして、山畑 美奈(やまはた みな)と申します。
デザイナーあがりのディレクターです。年間4000時間以上をWeb制作に費やしています。Webデザインを仕事にして10年が経った今でも、寝食を忘れるほどデザインが好きです。「好きこそ物の上手なれ」と信じながら、クリエイターとして学び得たものをエネルギーに変えています。
このページでは、わたしの自己紹介をさせていただきます。少し長くなりますが、読んでいただけるとうれしいです。
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経歴
営業事務期(22〜24歳)
新卒で入社した会社は、地元名古屋のメーカー本社。エクセルやアクセスを駆使しながら経営企画の資料作成をしていた。全くと言っていいほど業界に興味がなかったものの、幸いにも仕事は楽しくて仕方なかった。3年間勤めたが、一度も出社を嫌だと思ったことがない。若かったので周りがみんな優しくしてくれたし、本当に素晴らしい上司とチームに恵まれたことが、わたしの仕事における原体験となっている。
とはいえ営業事務の仕事はルーティン作業、1年もすればだいたいのことが出来るようになった。力の入れどころ、手の抜きどころなんかも分かってきて、要領も掴めてきた。そして気づく。「あぁ、この仕事は替えが効いてしまう」と。仕事が楽しかっただけにそのことがものすごく悲しくて、ものすごく切なかった。普通科四大を出て、OLになることを目標にしていたわたしが、はじめて強烈に将来を案じた気づきだった。
「じゃあ自分には何が出来る?」と考えたとき、特に答えが出なかった。「じゃあ何をしたい?」という問いにも、明確な答えを持っていなかった。
そんなとき事業を営む両親から、会社のホームページをリニューアルしたいと相談を受けたことがきっかけで、Web制作のスクールに通うという転機が訪れる。
スクール・インターン期(24〜25歳)
仕事をしながら、土日はスクールに通う生活が始まった。いわゆるパソコン教室のような雰囲気のスクールで、Web制作における基本的な工程やツール操作を学ぶのだが、元々パソコンが得意というわけでもなく、普通に挫折した。高校生のときに流行った、ホムペづくりのノリで捉えていたHTMLは普通に難しかった。離脱寸前、Webデザイナーという職種の人にたまたま出会うことで、わたしにまたも転機が訪れる。その方が務めている会社でアルバイトを探しているという縁があり、無給でいいのでアシスタントをやらせてほしいとお願いしたところOKをいただき、Webデザイナー人生の下積み経験をすることとなる。
この時、OL職は辞めていない。つまり日中はOLとして勤務し、退社後19時から23時までの4時間でWebアシスタントをするという生活を送った。
アシスタント業は辛かった。体力や気力面ではなく、かけている時間や労力に比例して自分の能力が成長しないことが辛かった。わたしが4時間かけてやっと作った小さいバナーが、朝9時には差し替えられていることがあった。クオリティを見かねた先輩が、わたしの退社後に作り直して差し替えたということなのだが、あまりに情けなくて力不足で本当に落ち込んだ。
泣きながら帰り、泣きながらお風呂に入り、泣きながらデザインを続けたことを覚えているし、今も当時を振り返ると首を絞められるような息苦しさを感じる。才能の芽がでないまま1年間この生活を続けた。
わたしは自己肯定感が高いのを自覚している。そのため出来ないことがあっても諦められないことが多い。自信があるのとはまた違って「おかしいな、こんなはずじゃないのになんで出来ないんだろう?」と純粋に不思議なのだ。そのマヌケな性格が功を奏し、芽が出ないまま無謀にも第1希望のWeb制作会社の転職面接を受け、内定をもらい、晴れて憧れのWebデザイナーになることができた。
Web制作会社期(25〜33歳)
採用は、明らかにポテンシャル採用だった。なぜなら面接で「君のポートフォリオは0点」と酷評を受けている。出来は悪い、でもやる気がある。という若さゆえの前向きな姿勢と、無給インターンを1年続けたガッツを見込んでくれたのだと思う。とにかくこれでWebデザイナーとして就職でき、第二新卒としてのキャリアを歩み始めた。
最初は既存Webサイトの保守・運用業務からスタートし、数多くのクライアントサイトを担当した。0からサイト制作を行うことはないものの、多種多様な要望に寄り添い提案し、見積作成からサーバー手配、デザイン、コーディング、進行管理、請求書発行まで、Webサイト制作におけるほとんどすべての業務をここで学び培った。カスタマーサポート部署だからこそできたクライアントとの伴走がやりがいだった。
1年後、志願した東京転勤を叶えてもらい、WebデザイナーからWebディレクターへとキャリアアップを図る。しばらくはどちらのポジションも兼任し、ディレクションしながら自分でデザインするということを続けていた。徐々に担当プロジェクトの規模が大きくなり、ディレクターに専念。最終的には3,000万円規模の案件を担当させてもらえるようになった。組織での役職もチームリーダー → グループマネージャー → 制作部長 → 事業副本部長までステップアップすることができた。
独立期(33歳〜現在)
Web制作歴10年を迎える節目の年、2022年7月1日に株式会社アヤメを設立し独立。前職同様Webサイトの受託制作を行いながら、新しいチャレンジとして自社サービスの開発も行っている。開発眼を養うため、600時間のエンジニアスクールも卒業した。今は社員を持たない一人体制のため、フットワークの軽さを生かしながら興味の赴くままに制作・開発に取り組んでいる。
これまで取り組んできたこと
Web制作会社での仕事とは別に、個人で色々と取り組んできたことを紹介したい。根底にあるのは「デザインそのものが好き」という熱量。合理性や採算性よりも「やりたい」という欲求に常に動かされてきた。
結婚式用ウェブ招待状サービスの運営
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Web招待状のセミオーダーサービス【I DO WEDDING】を自主制作し、2017年から運用を続けている。ビジネスオーナーとして、サービスの企画・実行・運用・改善を一通り経験できる、自身の有益なコンテンツだ。今後はこのサービスをルーツに、アヤメで事業化を行う予定。
→ I DO WEDDING
ブログ運営
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気に入ったモノやコトを見つけると、誰かに紹介したくなる。できれば長々と話を聞いてもらいたい。そんな欲を満たすため、こだわりを持って愛用しているあらゆるものを【偏愛モノ語り】と題し、デザイナー目線で紹介している。モノにはエネルギーが宿っていると思うからこそ、意思や理由のない選択はしないようにしている。長く愛せるものに囲まれて暮らしていれば、自分も周りも幸せになっていくと信じている。
→ HATAKE DESIGN FIELD
ファンサうちわ文字の販売
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「きっとみんな、誰かの推し」をコンセプトに、アイドルうちわをオマージュしたうちわ文字の製作と販売を行っている。誕生日や結婚式などのお祝いごとや、運動会・発表会での応援シーンなど、日常の推し活を彩るエンタメアイテム。このサービスの1番のファンは母親で、母の周囲でお祝い事がある度に発注が入る。
→ FAN! FAN! FAN!
生花販売
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オフラインビジネスとして、花束やフラワーアレンジメントの販売、フラワーマーケットのイベント企画を行っている。ウェブと生花、表現方法の違いはあれど、デザインすることの楽しさにデジタルとリアルの境目はない。花は、密かに想いを込められるところがいい。花に託して伝えたい想いもあれば、自分だけが知っていればいい想いもある。花屋を始めてよかったことは、贈る花束を自分で作れるようになったこと。
→ NOKOISAKI FLOWER MARKET
名刺代わりの10選
履歴書や経歴書より “何が好きで、何に価値を感じるか” を知れた方が、等身大の人となりが見えてくるんじゃないかと思っている。
小説
わたしを構成している思考のほとんどは、読書が与えてくれたもの。時空を越えるような没入感を知り、読まない人生には戻れなくなった。
十二国記(小野不由美)
ゴーストハント(小野不由美)
八咫烏(阿部智里)
獣の奏者(上橋菜穂子)
風の中のマリア(百田尚樹)
八日目の蝉(角田光代)
青の炎(貴志祐介)
新世界より(貴志祐介)
国盗り物語(司馬遼太郎)
イニシエーション・ラブ(乾くるみ)
ラジオ
曜日感覚はラジオで保つタイプのradikoリスナー。好きな番組は本編だけじゃなく、アフタートークや放送後記まで追いかける。
ハライチのターン(TBSラジオ)
安住紳一郎の日曜天国(TBSラジオ)
爆笑問題カーボーイ(TBSラジオ)
田中みな実 あったかタイム(TBSラジオ)
オードリーのオールナイトニッポン(ニッポン放送)
佐久間宣行のオールナイトニッポン0(ニッポン放送)
ひょろっと男子(文化放送)
鬼滅ラジヲ(WEBラジオ)
小泉今日子とYOUのK-POP PARTY(ポッドキャスト)
ゲイと女の5点ラジオ(ポッドキャスト)
言葉
何度も何度も読み返し、事あるごとに振り返る言葉たち。わたしを形づくる背骨のようなものであり、もはや感性そのものな気がしている。
責難は成事にあらず
腹が立ったら自分にあたれ悔しかったら自分を磨け
実らなかった恋にも、実はなっている
目からビーム 手からパワー 毛穴からオーラ
愛嬌というのはね、自分より強いものを斃(たお)す柔かい武器だよ
自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ
物語を作る者は、想像力で悲しみを癒やす
足のつくことに戸惑うこれまでは溺れるだけの海だったから
いっしょに集めた陽の光があなたを守りますように
余計なことを知りなさい
まとめ
10年間、ひらすら真面目にWebデザインに取り組んできました。タスクに追われ、納期に追われ、楽しいことばかりではありませんでしたが、それでもなお飽きることなく熱中し、夢中になれるこの仕事に出会えて幸せです。
これまでの経験と熱量をかけあわせ、みんなの生活がよりよく変わるように、デザインであらゆることに貢献したい。創意工夫の気力をゆるめず、世の中を前進させるエネルギーとなり、デザイナーとして「ここまでやれる」を体現したい。根底から変貌していく世の中で、楽しいという感覚だけは不変のもの。クリエイティブで表現する楽しさと可能性を追求し、挑戦し続けたいです。たくさんの関心と応援をいただけるとうれしいです。どうぞよろしくお願いいたします。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。長々と書きましたが、InstagramやTwitterでもお気軽にお声がけください。