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短編小説『封印された秘密の呪文』
簡単に世界が壊れてしまうなんて、誰が決めたの?
どうして、今日が最悪なんて顔をしてるの?
君の声が聞きたい――。
❋
僕らの世界は、大きなマスクで口元を覆って、言葉が封印されてしまった。
離れた所で、僕は君と目で会話する。
君が瞬きすれば、君の今の気持ちが分かるよ。
君は、今日も悲しい眼差しを僕に向けてくる。
でもね、君がどうして悲しんでいるのか、分からない。
僕は、マスクを外して君に語りかけようとする。
でも、君は全身全霊でそれを止めるんだ。
それをしたら、僕の身体が消えてしまうことを怖れてる。
本当はね、せめて指で君に触れたい。
優しく触れて、君の心の中の悲しみを癒やしてあげたい。
きっと冷えてしまっている柔らかい君の手を、温めたい。
でもね、今、君に触れたら、抱きしめたくてしょうがなくなってしまう。
もし、君を間違って抱きしめたら、君は硝子のように粉々になって消えてしまうかもしれない。
この世界は、それだけ繊細なんだ。
「伝えたい、言葉があるんだ」
「君に触れて、伝えたいことがあるんだ」
僕はこの気持ちを精一杯眼差しに込めて、君へと贈った。
❋
そういえば昔、僕が小さな子どもだった頃、お爺さんがそっと教えてくれた。
『封印された秘密の呪文』がある、と。
その呪文は、世界を開放するんだって、そう言っていた。
それを聞いた僕は、「そんなものあるわけないじゃないか」と、お爺さんに言ったっけ。
その頃は、まだ少しだけ、言葉が残っていたんだ。
こんなの迷信に決まってる、お爺さんのでたらめだ、
何度そう思っても、僕は「そんなものがあるなら見つけたい!」って、強く思わずにはいられなかった。
この秘密の呪文を見つけ出せば、僕はきっと君に会いに行ける。
きっと、君がどうして悲しい眼差しをしているのかを、聞きに行くよ。
❋
僕は、タイムマシンに乗って、時代を遡る。
どこかに『封印された秘密の呪文』が置き忘れられていないか、僕は探しに行く。
過去の世界には、人々がたくさん悲しい思いをして、たくさん悔しい思いをして、そんな気持ちが積み重なった、言葉の墓場があった。
「人々はね、奇麗なものは拾い上げていくんだよ。
嬉しいことがあると、素敵な言葉を拾い上げて、皆で分け合っていくんだよ。」
その墓場で墓守をしている男が、僕に教えてくれた。
まだ、言葉がある時代に、僕は来たんだと分かった。
「ここには、何もないのですか?」
僕が墓守男に尋ねると、彼は「さぁ、どうだろう」と言うように、首を傾げた。
僕は、真っ暗な言葉の墓場を、丹念に歩き回った。
永遠に何もない同じ景色が続くんじゃないかって、ここから帰ろうとした時、
チラッと光るものが見えた気がした。
光が見えた方向に近づいていくと、小さな光が、だんだんと増えていく。
僕は、慌てて手を伸ばして、光を掴んだ。
それは、言葉の墓場に埋まっていた、小さな希望だった。
暗い暗い世界に輝く、小さな小さな光の数多の粒。
僕は、とうとう『封印された秘密の呪文』を見つけたんだ――。
❋
元の僕らの世界に戻って、君に会いに行く。
その朝、ぐんぐんと君に近づいていく僕を見て、君の目は驚きで大きく見開いていた。
君の目の前で、僕はマスクを外して、一息、大きく息を吸い込んだ。
そして、『封印された秘密の呪文』を唱える。
「――おはよう!」
僕は大きな声で、その言葉を一番最初に彼女に捧げた。
その瞬間、世界はシャボン玉のように弾けて、灰色の世界は消えた。
❋
それでも、僕らは消えなかった。
君はマスクを外して、「おはよう」と言って、僕の言葉に応えてくれた。
初めて聞いた、君の声は澄んでいた。
――僕達の間に、小さな小さな光が生まれた。
(完)
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