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【映画鳩】オッペンハイマー

日本公開されることがあれば(本国公開されてから日本公開されるまで協議か何かあったようでだいぶ間がありました)、見に行こうとは思っていたものの、ずっと「見たい」と「見なければ」の間にありました。
でも公開されましたからね、もちろん行ってきましたよ。配信だと腰が重くなって見るのに時間を要しそうというのもある。劇場というのは時間と集中、環境を買う場所であるため。

チケットをとるまでは何も考えていなかったけど、劇場に入って本編始まるまでにもうちょっと帰りたかった。余裕があるときでないと見ることができないのはわかりきっていますからね……。
でもやっぱり見なければならないと思うわけです。同クリストファー・ノーラン監督の「インターステラー」が大好きなので、一体どのようにこの"原爆の父"と呼ばれる人物、もしくは原爆というものを撮るのだろうと、見ておかなければならないと勝手に思っていました。見ました。


(注:以下ネタバレあります)


これが全部フィクションだったら良かったのにね。学問としての探究心、政治やその当時の自身や国家が置かれた状況によるもの、全部が合わさって、人間はどこまででも非人道的になれるし、信じられないほどの残虐さを保有していることを見せつけられる。あ〜でもよかった!これ映画だもんね!作り話だから、現実にはこんな酷いことは起こらなくてよかったね!と言える世界であってほしかった。その恐れ見上げた戦闘機が、現実に飛ぶ空の下だよここは。
物理学300年の歴史の(その時点での)集大成が、本当にそれで良かったんですか。

ともかく、映像と音響が素晴らしかった。もう素晴らしすぎて嫌になる。細かなカットまで画面が美しく、音が効果的に使用されていて素晴らしい。初めから爆音で、大きい音が怖い鳩としては(やっぱり配信……!)と思いかけましたが、これが効果的に恐ろしいのです。音の振動までもが表現のうちになっている。冒頭の、雨が地面を打つ音から繊細な音の使われ方をしていて、前半はほぼずっと効果音だったり音楽だったりが流れています。これがトリニティ実験のあの瞬間に無音になるわけです。そして音と光の速さの差、また心理的な時間の遅延を経て、爆発音。この瞬間のためだけの音の設計でしょう、もう。
この実験に成功し、広島に原爆が投下されるわけですが、そこは直接的には描かれていません。ただこの実験のシーンと、その後の成功を祝福するシーン、広島への投下がラジオで伝えられるシーンだけで、その惨状は伝わるように思います。ただそれは鳩が、日本人として、原爆の知識を持ちその結果を目にする機会が多かったから、受け取れているだけなのかもしれない。

あの実験の、カウントダウンの恐ろしさ。そこで世界が変わってしまうことを我々はもう知ってしまっているので、本当に嫌でした。その成功と政治的な判断との上で、実際に大量の人間が殺害され、そしてその歴史の上に我々は今立っている。今回はたまたま劇場の最後列に座っていたのですが、このトリニティ実験から祝福シーンの、画面中の高揚感と客席重たい空気感の温度差が凄まじかった。泣いている人も数人見えていました。

祝福シーンでは、オッペンハイマーが見る幻覚に、炭化した人間や崩れ去っていく人間、閃光とともに空になる空間など視覚的な要素もあったけれど、やはりここでも印象的なのは。足音(拍手)と爆発音がオーバーラップしたり、歓声と悲鳴が被っていたり、演出の素晴らしい最悪さ。
このシーンで祝福している中に、泣き崩れる人がいたり、陰で身を寄せ合っている人がいたり、吐いている人がちらっと映ります。このシーンでは全ての人が原爆開発関係者であるはずなので、ようやくここにきて自分が行ってきたことへの結果が何をもたらしたのか自覚したのか?とも思ったのですが、映画を見終わったあと、「その姿が原爆被害者の姿と重なる」といったような感想を見かけて、ぞっとしました(流れてしまってその感想が見つけられない……)。

オッペンハイマー本人自体は、感情の起伏がほぼ分からないように演じられているようでした。実際のところ当人がどう思っていたかなんて、当人以外に計れるものでもないですしね。オッペンハイマーの伝記映画として正しい距離の取り方かなとは思います。


ノーラン監督の映画なので(?)、3つの時代・場面が交互に進行していく構成です。

  1.  オッペンハイマーが原爆を開発するまで(〜1945年)

  2.  オッペンハイマーを公職から追放した「オッペンハイマー事件」(1954年)

  3.  2の事件の首謀者・ストローズの公聴会(1959年)

とにかく登場人物が多い。常に画面の右上に写真と名前と肩書き書いた相関図を置いておいてほしい。
鳩の感想が1に寄っているのは、恥ずかしながら2, 3に関しては知識が足りず……。見ながらどうにか理解する有様でした。これから見に行く予定のある方は、ざっくり予習をしておいたほうがいいかも。というかどう話が展開するかを分かって見ていなかったため、トリニティ実験のあたりで絶望感とともに終わるのか……なんて思っていたら、まあここがほぼ半分でしたね。見る時は、そこまでで体力使い果たしちゃだめだよ。
ちなみにカラーがオッペンハイマーの視点、モノクロがストローズの視点らしいです。見ている時はそこまで気が回らなかったな……。


劇場を出て、ぐったりしましたね。ぐったり。やはり心身に余裕のある時にしか見られないだろうし(実際一瞬途中で退場しようかと思った)、配信で見るには気が重い作品だったので(見ていても途中で止めそう)、劇場で見ておいて良かったです。またあの音の圧を感じるためにはやはり劇場が一番。まだまだ公開中ですよ。


おまけ
坂口安吾の「白痴」で描かれているのは東京大空襲のことですが、映画を見ている間以下のくだりをずっと思い返していたので、引用します。私はこの淡々とした描写を初めて読んだ時、恐ろしくてかなわなかった。

三月十日の大空襲の焼跡もまだ吹きあげる煙をくぐって伊沢は当もなく歩いていた。人間が焼鳥と同じようにあっちこっちに死んでいる。ひとかたまりに死んでいる。まったく焼鳥と同じことだ。怖くもなければ、汚くもない。犬と並んで同じように焼かれている死体もあるが、それは全く犬死で、然しそこにはその犬死の悲痛さも感慨すらも有りはしない。人間が犬の如くに死んでいるのではなく、犬と、そして、それと同じような何物かが、ちょうど一皿の焼鳥のように盛られ並べられているだけだった。犬でもなく、もとより人間ですらもない。

白痴 / 坂口安吾


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