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台風で増水した大川をぼんやりと眺めながら、このまま死んでしまえば、棺に竜胆が入らないので、やっぱりやめようと思った。 日々特に意識して過ごしているわけでもないが、私は花の中で竜胆が一等好きだ。慎ましやかな深い青紫色。それは人間の肌の色、とりわけ私の、日に焼けた黄色い肌よりもいっそうに美しい。青紫のちいさな花の連なりが、硬くしっかりとした枝に揺れる様が不均衡で、地に足をつけて仁王立ちをしているのか、それとも、微風にすら揺れてしまう儚き立ち姿なのか、私には判別しかねている。
の・ようなもの、を作る常習犯であるので、ことあるごとに、の・ようなものを作っている。まず初めにこれは、の・ようなものであると自覚したのは、カルボナーラであって、人様に作れと言われただかなんだか、忘れたがそもそも作らないものを適当に作ったところが始まりであった。 カルボナーラ。きっと食事をしたことがある、現代日本に住んでいる人間であればどこかで出会ったことがあるだろう。白いパスタだ(そもこの時点で認識がこの程度である)。それまでそれが私に馴染みがなかったのは、外食をする時
さながら魚のように泳ぐ女がいて、それは龍の生まれ変わりだともっぱらの噂である。その女はひとたび水へ入れば、どの海女よりも長く潜り、海豚と同じかそれ以上の速さで自在に泳ぎ回る。幼き頃は泳ぎの名手だと持て囃されたが、女が美しく成長するにつれ、次第に村人はそれを気味悪がるようになった。それは女の両親も同じであったのか、血を分けたはずの人間でさえ、龍の女とは距離を置いている。唯一その女と必ず同じく行動しているのは双子の片割れであり(出生順を誰も知らない)、片時も離れることなく双子は