湊の製鉄と「向羽黒山城」の関わり
向羽黒山城(むかいはぐろやましろ)は、
福島県大沼郡会津美里町にあった日本の城で、
戦国時代会津を治めた蘆名盛氏が8年もの歳月をかけて築城した
天然の要害です。国の史跡に指定されています。
猪苗代の製鉄の歴史を見ていくと、
湊の製鉄と向羽黒山城が深い関りがあったのだろうという推測がありました。
向羽黒山城とは、黒川城(鶴ヶ城)と同時期に造られた山城で、
蘆名盛氏の隠居城と言われています。
しかし、実は戦略上の要のお城で、盛氏が生きている間は、
伊達政宗も手出しが出来なかったと言われています。
また、蘆名盛氏は、上杉謙信・武田信玄と並ぶ「奥州の大大名」と
言われています。
盛氏没後、9年後には伊達政宗は、
猪苗代の「磨上原の戦い」で蘆名家を滅ぼし、会津に入る事になるが、
その時に、湊の鵜ノ浦城が、伊達政宗により攻められています。
湊の製鉄との関わりは、鶴ヶ城からの指示では無く、
実は「向羽黒山城、蘆名盛氏からの指示ではないか!?」と想定しています。
なので、
湊の鉄の道は鶴ヶ城を通り、向羽黒山城まで続いているのです!
今回、実際に向羽黒山城跡へ行き、その様子を動画にしましたので、
どうぞご覧ください♪
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?