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【第55回】「"今"を楽しむことの方が重要」港区賃貸の僕が、なぜ田舎にセカンドハウスを買うのか。

山口周さんの「ビジネスの未来」という本が面白い。

もともと山口周さんのファンではあるが、今回の著作も示唆に富んでいた。というか、大いに賛成。自分も考えていたことが多い。

内容は多岐にわたるので、今日は一部しか紹介しない。それは、「今を楽しむ」ということが、現在においてはとても重要なことなのだ、という視点だ。(本文ではもっと詳しく書いているのでそこは省略する。)

現在の社会、もしくは僕らが学校で習ってきた生き方、というのは、未来のために時間を費やすこと、未来のために今頑張ること。これってすごく重要なことってされているように感じる。しかしそれは今はもう十分すぎるくらい豊かになったので、将来の不安などは実はかなり減っているということだ。

(いろいろ付属する理屈はあるが一旦ここでは本題とずれるので省略する)

「今」をどうやって楽しむのか、ということは僕はかなり重要視してきた。それを象徴する言葉として、僕は「Life include Work」という言葉を意識的に使うようにしている。これは、Work Life Balance という言葉に対しての自分なりの抵抗だ。ワークとライフを別々のものとして捉えること自体が、自分の人生を狭くしている。

人生というのは「生きている時間」である。そして、その時間をどのように自分がコントロールするのか?ということが最も重要な生き方だと考えている。しかし、Work Life Balanceという言葉には、「ワークとそれ以外の余暇」が含意されているはずだ。そうじゃないとこういう表現にならない。で、それは、しばしば、というかかなりの確率で「働くことの価値の高さ」が優先され、「働くことは余暇よりも意味がある」という印象を与え、「まずは働くことを優先する」という行動の変容をもたらしているように思う。

そして、それは、人を東京に連れてくる。w 自分がそうであったように。

僕はそういう状態を「本末転倒だ」という表現することにしている。「そもそも自分の(未来の)人生を心配する」があまりに「自分の(今の)人生を消費する」ということが起こる。これは一種の「未来に対する"恐怖"」であり、未来に対する"考え方"」であり「人生の"捉え方"」である。

僕らが若い時代はもしかすると、「人生の勝ち組、負け組」という言葉がもてはやされ、その恐怖が促進されていたのかもしれない。

「人生に勝ち組がある、負け組がある」ということ自体が一種の宗教のようなものだ。(ここでいう宗教というのは、ないものをあるかのように言うこと)

そこから解脱することが、もっとも早い幸せのとり方何だなと改めて思う。

ではでは。

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