【みなとの風景】時空を超えて想いがつながる中央突堤
『未来と世界にひらくまち』
これは、今年の4月に港区長に就任した山口区長が、中央突堤から海を眺めていた時に生まれた港区のキャッチコピーです。
2025年の大阪万博に向けて、未来の技術やまちの姿を見せられるように、そして、世界の人々が訪れたくなる港になるようにとの想いが込められています。
さて、中央突堤の歴史は、時をさかのぼること約120年前の1903年7月、築港大桟橋の完成からはじまります。
1868年7月15日、現在の西区川口の地で大阪港が開港したものの、河川港であり大型船の入港は困難なため、近代的な港湾施設の整備は、大阪市民の悲願でした。
この築港大桟橋が完成した1903年は、大阪において第5回内国勧業博覧会が開催されるとともに、築港大桟橋と花園橋(現九条新道)間に大阪で最初の市電が開通するなど、大阪が飛躍的に発展していく起点となる記念すべき年でした。
それから120年の時を経て、昨年10月、未来のモビリティである空飛ぶクルマの実証実験が、大阪で初めて市電が走った中央突堤で実施されたことは大変感慨深いものがあります。
港区の東西を一直線に貫くみなと通りの西端に位置する中央突堤。
地が終わり海が始まるこの場所にたたずむと、大阪市内にもこんなに開放的な空間があることに感動します。
西に開けた海のある大都市は世界的にも少なく、とりわけ中央突堤からの夕陽の眺めは格別で、天保山みなアート会により中央突堤ダイヤモンドポイントと命名され、大阪港で夕陽が一番美しい場所として人びとに親しまれています。
日常の喧騒から離れ、打ち寄せる波の音に包まれながら沈む夕陽を眺めていると、「日本一の港をつくるんだ」と決意し、不可能といわれた築港工事をやり遂げた当時の人々の想いと時空を超えてつながった気がしました。
時代は変われど、中央突堤から見える風景は変わることなく「未来と世界にひらくまち 港区」で暮らし、働く人びとの心の原点であり続けることでしょう。
《み(ん)なとライター:ほそたろ~》
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