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【港区まち歩き】港区の歴史探訪 Vol.2 ~磯路・夕凪エリア~

 秋本番。まち歩きが気持ち良い季節になりましたね。

 港区の歴史探訪まち歩き第2弾は、磯路・夕凪エリアの歴史をたどるコースをご紹介します!

 今回のまち歩きは、大阪メトロ弁天町駅からスタート。
 西改札口から3号出口へ進むと、大規模な工事現場が目に飛び込んできます。

大阪みなと中央病院の隣で大規模な工事が進行中

 ここは、昭和23年から平成4年まで実施された「港地区復興土地区画整理事業」の完了を記念して、港区のまちづくりの歩みを後世に伝えるとともに多世代交流拠点となる「(仮称)区画整理記念・交流会館」の工事現場で、令和6年春の開業をめざして建設が進められています。

 明治から大正にかけて進められた築港工事により、港湾物流の中心地として発展してきた港区は、太平洋戦争では攻撃の標的となり、区域の大部分が空襲によって焦土と化してしまいます

 また、地下水のくみ上げによる地盤沈下が進行し、台風による高潮被害にたびたび襲われていました

 そこで、戦災からの復興と高潮対策を目的として、区域の約9割で平均2mの盛土を伴う世界にも類を見ない大規模な土地区画整理事業が進められました。

実に区域の9割で戦災復興土地区画整理事業が実施されました
(昭和17年の航空写真に区画整理の施行範囲を重ね合わせたもの)

「大阪の復興は港から」を合言葉に、港湾機能の修復と大規模な区画整理事業を推進してきた港区

 鉄道と高速道路が何層にも交差する弁天町の風景は、焼け野原から立ち上がり復興を成し遂げた先人たちの熱い想いが伝わってくるようです。

鉄道と高速道路が何層にも交差する弁天町駅前交差点


 弁天町駅を後にして中央大通を西に進むと、ほどなくして大阪みなとドライビングスクールに到着。ここが「市岡パラダイス跡」になります

ドライビングスクールの建物壁面に市岡パラダイス跡を紹介するプレートが設置されています
かつて市岡パラダイスがあった場所は、今は自動車教習所となっています
戦後の区画整理で盛土されたこともあり、当時の痕跡は残っていません

 1925年(大正14年)にオープンした市岡パラダイスは、このあたり一帯の土地を所有していた市岡土地株式会社が、アメリカの遊園地を参考にして建設されたもので、大劇場、映画館、園芸館、アイススケート場、東洋一の高さを誇った飛行塔など、郊外型遊園地の先駆けとして先進的なものでした。

市岡パラダイス〈出典:中央図書館デジタルアーカイブ〉

 しかしながら、立地的に交通の便が悪く、なかなか客足が伸びなかったようで、オープンしてわずか5年で閉鎖することとなりましたが、市岡パラダイスの建設がきっかけとなり周囲には商店街が形成されるなど、地域の発展に大きく貢献したとのことです。

 続いて、市岡パラダイス跡から西に歩みを進めて三津神社へ。

住宅街のなかでひときわ存在感を放つ三津神社

 三津神社は、明和元年(1764年)に石田三右衛門が石田新田開発に際し、工事の安全と成功を祈り勧請したとされています。

戦前の市街地図を見ると、戦後の区画整理で拡幅される前の安治川のほとりに
建立されているのが確認できます

 当時の社殿は、戦災により焼失し、区画整理事業による安治川拡幅のため、昭和42年に現在の位置に再建されました。

 三津神社の歴史を紐解くと、江戸時代の新田開発から戦後の復興区画整理まで歴史が一つにつながっていることを改めて実感します。


 三津神社を後にして東に進んでいくと夕凪商店街が現れてきました。

 夕凪エリアは、かつては港区随一の繁華街として大いに賑わっていた場所で、ミシュランにも掲載されている「多古安」もこの地に店を構えており、活気あふれる往時の雰囲気を今に伝えてくれています。

かつての賑わいを今に伝える「多古安」

 今でこそ住宅地が広がる落ち着いたエリアですが、繁華街として賑わっていた歴史を感じさせるお店が建ち並ぶ港区のイチ押しスポットです。

商店街には、ふらっと立ち寄ってみたくなるお店が並んでいます

 弁天町駅に戻る道中で市岡商業学校旧跡の碑を発見
 
 現在は、大阪ビジネスフロンティア高等学校に統合された市岡商業高等学校ですが、大正8年(1919年)に大阪市で2番目の商業学校として設立、この地に校舎が建てられました。

 この石碑からも、戦前はこのエリアが港区の商業の中心地であったことをうかがい知ることができます。

磯路児童遊園内にある市岡商業学校旧跡の碑
碑の裏面には市岡商業高校の沿革が記載されています

 そして、磯路といえば桜通り

 昭和40年代に地域住民により植えられ管理されているもので、春には見事な桜が咲き誇ります。

長年、地域住民に愛されてきた桜通り

 ただ近年は、桜の老木化が進んでおり、台風などで倒木の恐れもあることから、今後、地域に愛される通りとしてどのように維持していくか、長期的な視野で検討されています。


 今回のまち歩きコースの最後の立ち寄りスポットは三社神社。

 港区内の神社でも最も規模が大きい三社神社は、元禄11年(1698年)、市岡新田の開拓者市岡与左衛門宗栄が工事の安全と成功を祈り、勧請したものが起源といわれています。

港区内の神社で最も規模が大きい三社神社

 戦前は、現在の市岡商業高校跡地付近に建立されていましたが、戦災により焼失。戦災復興土地区画整理事業によって現在地に移転されました。

戦前と戦後の三社神社の位置図

毎年7月20日と21日に開催される夏祭りは、港区内でも最も盛大なもので、にぎやかなお囃子とともに、獅子舞、太鼓、踊り手たちが地域を練り歩く光景は、港の夏の到来を告げる風物詩となっています。

 また、夜は、歩行者天国となった道路に多数の露店が立ち並び、三社神社一帯が大変なにぎわいにつつまれます

 コロナ禍により中止が続いていますが、来年こそは、三社神社の夏祭りが盛大に開催されることを願っています。


 今回は、弁天町駅を起終点として、磯路と夕凪エリアの歴史スポットをたどってみました。

 このルートを歩いてみると、戦災によりまちの姿が大きく変わったエリアですが、新田開発から始まる港区のまちづくりの歩みが一本の線で現在につながっていることが実感出来ました。

 ぜひ、現地を歩いてみて、港区のまちづくりの歩みを体感してもらえればと思います!

磯路・夕凪エリア  まち歩きルート図
大阪メトロ弁天町駅 西改札口~市岡パラダイス跡~三津神社~夕凪商店街~市岡商業学校旧跡の碑~桜通り~三社神社~大阪メトロ弁天町駅 西改札口(3.0㎞)

《み(ん)なとライター・ほそたろ~》

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